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Jpopは技術至上主義なのか?

たまたまこんな記事をみつけました。

今の日本のヒット曲というのは、歌うのが難しいと思います。細かい音符、音の跳躍、シャウトなど歌に関する様々な技術をふんだんに入れ込んでいるなというのが、私の今のJpopに対する感想です。歌に関する技術力は上がっていると思います。しかし、今の歌は気軽に口ずさめないんですよね。歌詞が詰まっているとか、歌いにくいメロディになっているとか。歌に関する技術を詰め込んだ結果、一般人が気軽に歌えるような曲ではないものが多い気がします。

今では録音も何度も録りなおしすることができますから、難しい作品を作ったとしてもそれなりの形に仕上げることができます。録音は修正できますからね。

たまに自身が持っている歌唱技術以上の曲を作ってしまい、結果生歌では事故っている場面もたまに見受けられます・・・

音楽において、注目を集めやすいのってやはり超絶技巧なんですよね。
ストリートピアノYoutuberとかも高い技術を求められる作品(フランツ・リストとか)を演奏して再生数を稼いでいるような印象です。「~を弾いてみたら周りの反応がw」みたいなタイトルでね。

難曲を演奏できる技術はもちろん素晴らしいですが、技術一辺倒な演奏にはやがて限界が訪れます。過度に技術にこだわった結果、音色や音楽的表現など、音楽の内面に関する技術が育たないと思います。Jpopしかり、クラシック音楽しかり、すべての音楽に通ずることだと思います。

Jpopの話に戻りますが、昔の曲というのはメロディがとてもシンプルで、どちらかというと歌詞を聞かせるような曲が多かったような印象を受けます。しかし、シンプルで誰でも歌えるような歌だからこそ、音楽の内面に関する技術が必要になってくるのです。例えば、先日亡くなった大橋純子さんの『シルエット・ロマンス』という曲があります。この曲は歌いやすい曲だと思いますが、このようにシンプルな曲だからこそ歌手としての能力、技術的なものではなく内面的な能力が求められると思います。

今活躍する歌手達の技術力を持ってすれば、歌うことは簡単でしょうが、ここまで聞かしてくれる歌手はいったいどれくらいいるのでしょうか。

クラシック音楽に関しては、技術をそこまで必要としない作品でどれだけ聞かせられる演奏ができる演奏家が本物だと私は思っています。ハイドンモーツァルトのピアノ作品は彼らより後の作曲家(ベートーヴェン、ショパン、など)の作品と比べると、技術的には簡単な分類になると思います。正直聴き映えはあまりしないと思います。しかし、このような聴き映えのしない作品において、じっくり聞かせられる能力を発揮できるピアニストが、本物のピアニストだなと個人的には感じます。

ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』は彼の作品の中でも、演奏技術をそこまで要求してこない作品です。ピアノの音色など、内面的な部分の能力を求められます。フジコ・ヘミングさんの演奏を聴いたときはハッとさせられました。こんな音を出せるのかと。正直、彼女より技巧力の高い演奏家はたくさんいますが、内面的な能力に関しては群を抜いていると思います。

個人的には音楽をじっくり聴かせられるアーティストがもっと伸びればいいのになと思います。今活躍しているプレイヤーが何十年と経った後に、内面的な能力を身につけられているのでしょうか。

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