交響曲第5番の不思議
ベートーヴェン以降、交響曲第5番というのは何かと名作が多いような気がする。それは交響曲第5番を作曲する時には作曲家としてのキャリアがある程度積まれていることが理由だと思う。
ベートーヴェンに至っては交響曲第5番を作曲するまでに、ピアノソナタは熱情まで、ピアノ協奏曲は4番まで、他にもヴァイオリン協奏曲やクロイツェルソナタも作り終えている頃なので作曲家としてある程度の経験とキャリアを積んできたのだ。
ロマン派以降交響曲を5作以上作った作曲家はそれほど多くはないが、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどの作曲家の交響曲第5番はよく演奏されるものばかりだ。
1878年に作られたブルックナーの第5番は造り的には彼の他の交響曲と特別変わっている部分はない。この第5番ではフィナーレがソナタ形式で書かれているが、フーガが取り入れられているので難しい音楽に仕上がっている。演奏時間も80分近くかかるので、少し近寄りがたい音楽になってしまっている。これは何度も何度も聞いてようやく良さがわかる、いわゆるスルメのような作品だと思う。
マーラーの第5番は彼の絶頂期に書かれたと言ってもいい作品だ。第1番以来の器楽のみで書かれた交響曲でオーケストラは4管編成と巨大な編成だが、各楽器が効果的に使われており、ブルックナーのような複雑さはあまりない。また開始が嬰ハ短調で終わりはニ長調と調性の扱いにもより自由さが出ている。また少年の魔法の角笛や亡き子を偲ぶ歌などの歌曲との関わりも深い。1902年に作られたが、この9年後にはマーラーは生涯を閉じることになる。
チャイコフスキーの第5番は彼の交響曲の中ではもっと演奏される作品ではないだろうか。1888年に完成され、すでに代表作であるピアノ協奏曲第1番や、ヴァイオリン協奏曲、白鳥の湖といったバレエ作品も書き終えた後の作品だ。こうしたキャリアを積んだ後に書かれた第5番は完成度の高い交響曲へと仕上がった。その後も眠りの森の美女、くるみ割り人形、交響曲第6番と立て続けに代表作を作り続けたが、1893年にその人生を閉じることになった。
プロコフィエフの第5番は1944年に作曲された。彼の音楽は調性音楽の範囲に留まっているが、強烈な不協和音を多用する作曲家でもあったので、作品によっては不評のまま終わってしまった作品もある。交響曲第2番やチェロ協奏曲第1番の失敗談は結構有名な話ではある。しかし、そういった失敗も力の糧としオペラ、バレエ、協奏曲など様々なジャンルで名作を遺した。この交響曲も鋭い不協和音を使ってはいるが、彼のメロディーメーカーとしての才能も遺憾なく発揮されている作品だと思う。
ショスタコーヴィチの第5番は1937年に作られた。この時彼はまだ31歳だったが既に歌劇や映画音楽などの作曲もしており、順調に作曲家としてのキャリアを積み上げていた。しかし、プラウダ批判により彼の立場が危うくなり、予定されていた交響曲第4番の初演も取りやめられた。名誉回復のために作曲したのがこの第5番で、この作品の成功により彼の名誉は回復された。前までの作品では前衛さが残っていたものの、この作品ではそういった傾向は抑えられ、彼の作品の中ではわかりやすい部類の作品である。しかし全楽章短調で書かれており、特に第3楽章の悲痛な響きはなんとも言えない雰囲気を漂わせている。
ある程度作曲家として経験を積んだからこそ、交響曲第5番は名作が多く生まれたのではないかと個人的には思う。
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