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どんなキャリアを辿ってきたのか思い返してみた


思い返しますと、自分のキャリアも随分いろんなところを巡ってまいりました。

そのどこかで多くの人たちにお世話になったはずです。粗いですが、ざーーっとざっと思い返してみました。

・日本hpに6年半、いました。コンパックって会社と一緒になって。DNAが変質するってのを目の当たりにした。IBMの血が入ってくる前には辞めてたかな。
コンサル、JV出向、商社部門、戦略企画、マーケ、営業、と流れるまま、
声かけられるまま、やりたいようにやらしてもらえた。2004年末くらいから2年間だけインキュベーションの仕事をかばん持ちさせてもらった経験が、今のベースになってるとも言える。

・途中、CVCに1年、コンサル出身の怪しい人たちがたくさんいたなぁ。

・NTTデータの総研子会社。前半2年はEC調査やIT経営、CIO系の裏方。

・NTTデータの後半2年は、2010年からは北欧に傾倒。対話とデザインに着目。デザインコンサルチームを設立しましたが、ここで戦略子会社を2億で作れなかった時の力量不足は今でも成長の糧になってる。スタンフォードのd.SchoolやIDEO、Frog、CIID、IMD、各国のイノベーション省、とすごく世界の先端の知に触れられた濃密なインプットだった。10カ国くらい回った。

・2013年、北欧のデザインファーム の日本支社長で2年。思い起こせば、これが事業を経営する苦しさと孤独のスタートでした(笑)想いだけでは事業は運営できないし、脇が甘いと簡単に事業ってうまく行かなくなるんだってことも学んだ。北欧にこんなに往復することは私の人生でもうないだろう。

・2015年、独立。GOB-IPを約5年ほど運営。小さいながらもユニークな価値を目指して奮闘したのはいまでもよい経験とチャレンジだったと言えます。
次に出てくるTDSさんと世界を飛び回り知見を深めたのはいい思い出。20都市以上をみて回り世界の知の広がりを改めて再確認。ここでは、飲食ビジネスにもチャレンジしました。いやー難しかった。2年弱で撤退。地域商社の設立や地域に目を向ける、ってことも後半多くなりました。

・2019年、3年仲良くしたTDS社に機能子会社を設立する動きがあり、GOB-IP社とJVを設立。ヨチヨチ歩き、ということもありほとんどこちらにコミットする形で出向。シンガポールのHyperIslandでデジタルマネジメント学ぶ決意して苦労していたのもこの頃。頭の中はデザインからデジタルに拡張し、少しずつ世界観がバージョンアップされてきていた頃。

・2020年3月末、コロナの影響と親会社の一層の変革に注力するため、子会社休眠。役員退任。今も、親会社のDX推進室長は兼務。

・2020年4月より、VCにコンサルタントとして参画。


ざっと書き上げてきましたが、途中、ビジネスでとってもとっても大切な人が何名か若くして過労で亡くなっています。この人たちの分も働くんだって思ったなぁ。
そして小説なんじゃない!?ってことも一度じゃない感じで起きたなぁ。

でも改めて振り返ってみると、就職活動の時に未熟でなんの力もない学生の頃に必死に必死に描いた青写真、紆余曲折して解像度が上がるたびに少しずつ下書きとは違う絵になっていったんだけど、その時に描いた夢やワクワクって今も繋がっている気がする。

< 2021.11.07 追記 >
現在、企業をし、完全独立で仕事をしています。設立して半年ちょっと経ちますが、仕事人生の中で最も肩の力が抜け、最も私らしく仕事ができている、と思えた期間です。近況報告は下記

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