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誰もみな見えないのれんを持っていた頃があって

たまごどうふ、という料理を知っているだろうか。いや、違う。あの黄色くてちょっと小洒落た優しい立体のことではない。これは大学の頃わたしが好き好んで作っていた、勝手に命名した料理である。だからしょうもなく意地の悪い問いでありまして、これは誰も当てようがない冒頭のクイズなのでした。残念。あの頃一緒に飲んでいた彼らは覚えているだろうか。深めの皿に豆腐を砕いて、そこに適量かつ適当な比率で水割りしためんつゆをいれる。そこにいい加減に溶いた卵を加え、生姜を入れる。チューブでいい。ネギがあればより良い感じだ。それにラップを掛けて、レンジでこれまたその日にあった熱を加える。やる気のない日は「あたため」を2回押す。やる気のある日は「3分位でベストだろうか」とかかんがえながらレンジ強で加熱をする。表面の卵が少し固まったくらいが好きだ。あの頃は鍋つかみを持ってなかった気がする。干していたタオルを取って、二重にしてアツアツの容器を取り出す。ラップがぴたーっとくっついている。取ろうとする。蒸気が漏れる。水滴が手につくと「あっっっっっっっっっっつ!!!」となる。しばし湯気を逃がす。ラップを取る。かき混ぜる。鼻歌を歌う。冷凍庫からキンキンに冷やしたビールor日本酒を取り出して、これまたキンキンに冷やした器に入れる。アツアツとキンキンの出会いである。君の名は?だから、たまごどうふである。

ハートに貧乏料理を抱えていた頃は、誰もがのれんをもっていた。そいつんちに行くと、そいつんちの飲みになった。冷房が壊れ気味の部屋で飲む冷たいビールの旨さとか、間違って日本酒を半分凍らせてしまったらシャーベット状になって美味しくなったこととか、そこならではのエピソードに常に事欠かない。宅飲みというやつ。ちなみにそういう風に凍らせてしまった日本酒は、みぞれ酒というらしい。美味だ。完全に凍ってしまってはいけない。冷凍庫に2~3時間位入れておいて、そーっと取り出して、やや勢いよく器に注ぐとそんな感じになるらしい。その冷たく微細な半液体、半固体が前歯に当たる。思わず「んーーーーーっ」てなる。ちょっと口角が上がる。同時に目をつぶる。目を開けると仲間がいい顔をしている。多分自分もそんな顔をしていた。温度管理も器の選定なんて概念もそこにはなく、まあ、飲んでいた。そいつんちの趣で飲んでいた。家主がマスターとは限らない。家主がいい加減なやつだと特に仕切りたがったりもしないので(これは「いい加減」とは違うか)、勝手にみんな冷蔵庫を見たりする。次の酒を出す。似たようなつまみと似たような話が続く。その頃はやっていたニコニコ動画を再生し始めるやつ。アイドルにハマって夜な夜なPVやライブ映像を流し始めて布教をはじめるやつ。トイレで吐くやつ。寝るやつ。次の日1限が入っていることを自覚しながら意図的に無視して、サボって酔い醒ましのラーメンを食べに行くやつ。朝日に照らされた5歳老けた顔が滑稽に輝いている。ああいう時間はめっきり流れなくなった。それは温度管理にうるさくなったからか。器の選定にこだわるようになったからか。そういうことではない気がする。多分、宅飲みが特別なことになってしまったからだ。卒業する、家庭をもつ、とかく離れ離れになる。そうするとどうしてもいちいち予定をすり合わせたり、用意をしたりが煩雑になる。煩雑さは特別さを生む。それは、多分素晴らしいことだ。でもその代わりに失ってしまったのれんと雰囲気のことをたまに思い出す。気兼ねなくくぐれるのれん。そいつらの雰囲気。今日思い出したのは、夕飯が面倒くさくて件の「たまごどうふ」を食べたからだ。

あいつらとこれをまた食べたい気がする。それまで、汗をかきながら気張らずに生きようと思う。街で偶然であってしまって、近くのコンビニでなんか買って公園で飲むような、そんな夢のひとときを、胸ポケットにしまっておくよ。

↓栃木はせんきんの、クラシック仙禽亀の尾。仙禽。この名を聞く度また学生時代を思い出します。その頃仙禽は「なんて甘酸っぱい酒なんだ!」とかって言われてセンセーショナルに日本酒シーンを彩っていたと思います。その頃からはや10年くらい。すっかり上質かつ個性的で無二の一本を造る蔵になってしまった。いやはや。とんでもないですね。

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このお酒は開けたてから割とぐわっと様々な味を感じるお酒です。青りんご、葡萄、(洋)梨の風味から入って、少々ツンと来る香りが口に広がる。甘さはあるけれど、酸味や苦味、粒がしっかりした旨さを持っている。それらが渾然一体となりながら進む。飲み込む前に舌根、軟口蓋に心地よい柔らかな感触が走ります。すべてが胃に流れていくと、何もなかったように水の質感に戻るような錯覚を起こします。この透明に水に還っていく感じが仙禽一般の特徴ではないかな、と思っています。まあとにかく、一見軽そうで味わい深い酒です。レギュラー品も色々なお米を使っており、季節商品はポップなラベルが印象的です。味だけでないけど、やはり味が光る酒蔵と言えると思います。

ちょっぴりセンチメンタルなのれんの話も、このお酒は柔らかく笑って流してくれるような気がします。酒が水に還るように、わたしも日常に帰ります。子どもの寝顔を見て、わたしも眠るとしよう。

それでは、乾杯。


酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。