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【ショートエッセイ+詩】眠るてのひら、胸にしずむ

端的に言って、死が怖い。

自分の最期はどんなだろう、と考えない日はない。
そんなことを言ったら大げさだろうか。

その時、誰かとなりにいるだろうか。いないだろうか。

いたとしたらそれは、誰だろう?そんな風に考えると言葉が止まらなくなる。歳を取ったからだろうか。いや、たぶん違う。

なぜ違うと思うかというと、小さい頃にもそれを考えていた記憶があるから。もっともその頃はりょーさけ少年も非常に幼かった。

寝る前にそのことを考えて、いつの間にか泣いていた。それを父に見つかって、「お父さんも小さいころそれを考えて眠れなくなったよ。」と言ってくれた気がする。

そのころの、その問題の手触りと今の手触りはちょっと違うものだけれど、変わらず考えている。

妻は?息子は?娘は?友人は?他にもいる大切な人たちは?
そもそもそんな気楽なことを考えていられるような死に方を、自分はするのだろうか。

わからない。そう、わからない。
非常に不安だ。
けれども、わかっていたらそもそもこれを長々考えることもない。

それはそれで、ちょっと寂しいかなと感じたり物足りなく感じたりするのが不思議なところ。

※※※

「眠るてのひら、胸にしずむ」

雲を集めた てのひら

遠い日のこと

野を切り開いた てのひら

遠い日の朝

遠さもはかれないような遠さを
五本の指で観測する
遠さはあこがれの強さである
切り刻まれた時が皴になる

石を握る力を持った てのひら

遠い日の昼

頭をこつんとたたいた

遠い日のシエスタ

遠さは何を表すだろうか
私の陰はいつか歩き出すだろうか
遠さは日に日に近くなる
私の頭を掠め捉え離さない

他のてのひらに出会った てのひら

遠い日の夕方

触れて弾ける てのひら

東恋しく西に叫ぶ

遠さはもはや自分自身
私の後にも遠さを感じる
遠さが日に日に現れる
私はそろそろ休憩の時間

遠いてのひら

握る

遠い日を握る

ひとひら の てのひら

※※※

日常が陰った時、それはいつでも現れる。

それは私の中に、ある。

春が冬を残さず食べてゆく。

私は常に時に食べられつつある。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。