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どうやったら詩を書いてコメントをもらえるか、アマチュア詩人が真剣に考えてやってみた記事。(前編)

どうもこんばんは、りょーさけです。
最近ますます
 
 

妻子が恋しい男です…!
はよ4月になってくれ…。

って感じです。そんなテンションで始めます。
 
 
 

嬉しいことに、最近noteがますます楽しくなってきました。twitterのTLにあがってくるnoteの方々(ぴぴぷるさん、そばさん、ぽこねんさんなどなど)が紹介してくれる記事がとても面白くてつい見てしまう。その周辺の人たちのノートなんかものぞく。また面白い。で、面白い人の記事のコメントには不思議と面白い人が集まる。だからそのコメントしてくれた人のページにとんで、今度はその人の記事を読む。で…で…で…って

なんという無限ループ(笑)
 
 

しかも大体無料ってのが信じられない…!ただより高いものはないんですヨ!おそろしいおろそしい!
 
 
 

で、そういったnote記事や人々を見ている中で、私にもちょっと欲が出ました。いやほんと切ないくらいの欲っす。

 
 
 
自分が好きで書いてる記事にもっとコメントをもらえるようにしたい…!なんていうあからさまな欲…!

 
いやしかしですね、もうホントそういう工夫をしないとコメントどころかスキもきつい世の中です。

 
だって面白い記事は山程ありますから。ほんっとに。

 
  
 

私はまだまだ発掘できていない気がしますが、そういう記事を書く人なんてたくさんいるんです!だから自分も恥ずかしがってないで「できたら見て!スキして!コ、コメント!ギヴ・ミー・コメント!」なスタンスを出していきたい…。いや、バリバリ目立たなくていいから、せめて自分がやっているのがどんな感じのことなのかを立ち寄ってくれた人に、あなたに伝えたい!

 
 

そんなふうに思うのです。 
  
 

で、そういう思いを持ちつつ見直すのは、

です!!

 
 
 

改めて自他のものを見直してみると、そもそも

「コメントしづらすぎる、というか取っ掛かりがなさすぎるものって結構多くない?!」

という点に気が付きました。
というのもですね、
 
 

(それが詩だ、って言ってしまえばそれまでだけど)「作者がどういう意図でこの全体の詩を書いて、何を表そうとしていて、どこに気をつけて念入りに書いているのか分からないとよくわからない!」

のです。多分。スキやコメントを沢山もらってる方は同記事内もしくはプロフィール、またはコメント欄で自分の詩について語ってらっしゃいます。(りょーさけ調べ)

だから今日はいっそ!

詩を書く過程をまんま記事にしようと思います。

(はたしてこれでなにか伝わるのか、コメントを頂けるのかは謎であります)

途中思い悩んで書くのが止まったり、書きたいものが途中で変わったりもあるでしょう。細かい試行錯誤もあるかもしれない。
そこらへんの空気感を伝えることで、ただの文字の羅列ではなくて一応文字を言葉を選んでいるのですってことだけでも伝わればなあ。だったらいいなあ。
だからやってみます。

よかったら、お付き合いください。
 
 
 

 
 


では、最初にテーマや使いたい言葉を述べて始めます。
今回のテーマ、使いたい言葉などなどはこちら!

あっちがう。これ夕飯。

これでふ!(噛んだ)

テーマは「大学生の時の帰郷」。
使いたい言葉は画像参照。

いつもはこんな感じで設定はせず書き始めるのですが、今日はあえて縛り的な感じでこのスタート地点から始めます!レッツゴー!

さっそくボツが2つ
 

いやあそんなもんです。ボツ書いてボツ書いて「なんか行けそう!レッツゴー!」ってなるんですよ。「何回消そう!何回消そう!なんか!行けそう!」みたいな感じでエンジンがかかるのです。
何回消そうエンジンが私を導きます。

そんな感じで選ばれたのがこれですか。
「かたい と いたい で はじまるひとときが まだ」か、ふむ。

「かたい と いたい」は、多分高速バスに乗って帰郷してたから出てきたんでしょうね。「(座席が)かたい と (腰が)いたい」みたいな。
 
 
で、なんかひとまとまりの時間がはじまって「まだ」と来る。

そういう思い出が今もまだあるよーっていう流れにするための振りかな!

ちょっと漕ぎ出せました。また書いてみよう。

安直だなあオイ…

「まだ」で終わったから「ダマ」ね。で、「ダマ」は粉と液体が混じってない状態だから、「なんかスッキリしない」って感じなのかな。そのままそれが「宙に浮く」か。ふわっとしてるってこと、かな。だね。

で、きました。

「飛んで火にいる私の心臓」です。

あー来ちゃだめなのにまた来ちゃったよ考えちゃったよ帰郷のこと。自分の核心部分がそれを思ってしまったよ。ああ、予想通り〜

みたいな感じ。
 
 
進めてみよう。

帰郷の様子を描いています。

(少なくとも書いている当人はそのつもりです。)

「カラリカラカラ 輪になる人々」…これは友人と集まったときとか親戚と集まったときのことを言っています。「カラリカラカラ」はちょっと音的に違和感を入れたくて入れてます。あと、集まりたてで湿っぽくない乾いた感じだって言いたいのです。ついでに前のフレーズに「火」が出てきたので「火」→「あつい」→「乾燥する」→「カラカラ」みたいな連想ゲームも入ってます。

「咲いて〜」は、盛り上がったり盛り上がりすぎて寝ちゃったりまた盛り上がったりが続いてるってことなのかな。
で、「夜半の〜」は夜の真ん中で自分だか誰だかが涙を流したと。それが独りの自分を癒やした…ちょっとわかりにくいかな?ちょっと戻ってみる。


 

この「カラリカラカラ」を「人間関係がどこかドライになっている様子」だと捉えたらどうだろう??

 
 

高校くらいまでは友人も家族もだいたい一緒の土地に住んでいた。でも離れた土地に行った。それからどれくらい経ったのかは不明だけれど、とにかくみんな離れたところに行った。少なくとも、自分は。そっちの土地に行って苦労もあった。馴染むために努力もした。帰郷するころには、新しい土地で友達や信頼できる人も見つかっているかもしれない。

で、久々に帰ってもともと居心地が良かったところに戻ってみるとどうだろう。なにか違和感がある。自分が新しい土地になれたからそうなったのか、それともみんなが変わってしまったのか。
そんな疑念が集まってすぐに湧く。
 

…。
 
 

そんな感じで手探りで故郷の集まりを過ごしていると、時が経つにつれて笑いが出てくる。笑い疲れて眠るやつもいる。ちょっとホッとしてくる。深夜になって、誰かがなにか懐かしくなるようなことでも言ったのだろうか。

で、涙が流れる。

そこで「ああ、自分はここに帰ってきたのに浮いていたようだが、やっぱりひとりじゃない。」と思う。

「カラカラ」「ドライ」だった場が「湿る」「ウエット」になる。

 
 
 
 

…とかって言ってみたいのだけれど、これは飛躍し過ぎなのでしょうか(笑)
 
  
これは一例なのですがいつも詩を作りながらこんな感じで言葉を選んでます。

言葉をコンパクトにしてみたり、

 

言葉遊びをしてみたり、
 

(今思うと、「ダマになって」「宙に浮いて」「火」となるとお好み焼きっぽいですね。多人数で集まってそうです。なんとなく。) 
 

言葉を短いスパンで対比させたり、

 
 

そんなふうにして楽しんでます。 
 
今日はたまたまスラスラ行きましたが、全然うまく行かない日もあります。そういう日にはそういう日のやり方があって
 

マジ適当なナンセンス文を並べたりします(笑)

 
 

↑まーこれはもうこの行為自体ナンセンスです(笑)

(といいつつ、ナンセンスやってると自然と「テンポのよい言葉」を選んでたりする自分がいるので、それはそれで心地よくなったりする。言葉は意味だけじゃありませんから。)

 
 

はい!
色々グダグダ言っちゃいましたが!
 

私はこういう風に詩を書いておりますので、みなさんがチラ見しに来て「意味わかんねえ文書いてるなー」と思った時にほんのちょっとだけ、「ああ、これってもしかしてこういう意味?遊び?」とかって思ってくれれば幸いです。

言いたいことは言った気がするけど、せっかくだからこの詩はまた明日続きを書きます。

また明日お会いしましょーではでは!
 
 
 

(こ、こ、こ、こめんと待ってるヨ!)

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。