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相棒との出会いと別れのお話

これはうちで飼っていた相棒猫「フォント」との出会いと別れの内容です。
ちょっとおせんちな内容となっております。

彼は今年で6歳になる猫。名前はフォント。
この先もずっと一緒に、あと今の倍は生きてくれると当たり前のように思っていました。でも6歳と4ヶ月ちょうどでこの世を旅立ってしまいました。

彼との出会い

私は25歳で結婚して、26歳の時に離婚をしています。
当時の自分は未熟者で、まだ自分のことで精一杯。余裕がないことが理由です。(この話は長くなるのでまたどこかで・・・)

その時、独り身の私が茫然としながらフラッと立ち寄ったペットショップで、1万円という破格で売り出されていたのがこの仔との出会いでした。

店員さんに価格の理由を聞くと、
だいたい仔猫に高値がついて家族探しが始まるのが生後3ヶ月前後だそうです。しかし、その時期この仔は風邪をひいてしまっていたらしく、ずっと店頭に出れずに病院で治療をしていたんだとか。それでようやく体力も回復して元気な姿になり、店頭に顔を出したばかりだったそうです。

お目目がクリンクリンで少し臆病な仔でしたが、店員さんがおもちゃを見せると目を輝かせてモゾモゾしていました。私におもちゃを渡してもらい、ゲージの扉を開いた途端、我慢していたのか私の胸元に飛びついてきました。

「この仔の家族になりたいです」

短い期間で家族を失った私の暗くどんよりとした人生に一筋の光を照らしてくれたのが、この仔でした。

それからこの仔との二人の生活は始まります。

名前は「フォント」

当時私のメイン仕事はウェブ制作関係。
※私の経歴はこちらにもまとめていますのでご興味あればご覧ください。

デザインをするときに常に心がけていることは、
・誰が
・何を
・誰に
・どんな印象で伝えるか

印象やニュアンスをしっかりと伝えるためにデザインの細部に気を付けていました。特に文字の大きさは声の大きさ、声色はフォントで表現する、といいます。真面目な印象なら明朝体、力強く伝えるならゴシック太字といった感じです。

日本語といってもフォントにはたくさんの種類が存在し、それを体現する言葉の大きさと種類はどれだろう、とデザインをするときはいつも悩みます。そんな時、常々「猫の手を借りたい」という気持ちに襲われていたので、この仔の名前を「フォント」くんと命名しました。

一緒にデザイン仕事を手伝ってもらう、迷ったらアドバイスをもらう存在でした。
※現実はこの仔がフォントを推奨してくれるわけでもなく、選んでくれるわけでもなく、モニターのじゃまをしたり、キーボードの上に寝たり、マウス(ネズミ?)で遊んでいたり、生産性という観点では低下原因を作ってくれましたが、一仕事終わった時や息抜きをするときは相手をしてくれて、これまでの自分を支えてくれていました。

当時はまだテレワークがなかったので、仕事帰りが朝の6時とかになるときもありました。お家で一人お腹を空かせて待たせてしまって辛い思いもさせたりしてしまっていたと反省してます。
※一回だけバチが当たり、フォントのうんちがフローリング とソファーにこべりついていました。全て自分の責任、帰りが遅くなってしまってごめんね、といつも声をかけて抱きしめていました。

約6年間の生活

それからというもの、彼は「子供」と言うよりは「相棒」的な存在。
Instagramでは数ヶ月でフォロワーも1000名以上ファンをつけ、ペットメディアに取り上げてもらったりもしました。私が何かを教えたり与えるというより、自分が彼から多くのことを学び、与えてくれる存在でした。トイレの仕方だって教えていません。ご飯を食べるときは一緒の時間がいい、寝る時だって一緒の方があったかい、夏場は涼しいところを知っている。仕事人間だった自分が気がつくことのできない時間の過ごし方、家族として豊かな時間の過ごし方、仕事以上に大切なことを教えてくれました。

たまには喧嘩もしました、それでも数分後にはケロっとして普段通りに接してくれる、人間だといろいろ考えてしまって素直な感情が出せない時はたくさんあるけど、そんなお互いに苦しい時間を過ごしてもなにもプラスにはならない、そんな対人関係にも活かせることを教えてくれました。

とにかくずっと私に目線をくれていたんだな、と今振り返ると思います。
仕事に向かっている時も、スマホをいじっている時も、私が彼以外に興味を持っている時も、彼は私を気にかけてくれていたのかな、遊んでくれるタイミングを伺っていたような気がしてなりません。そんなことを考えるたび、今となってはもっと彼のことを気にかけて、一緒に幸せな時間を過ごせばよかったのに、自分は何をしていたんだろう、と少し自暴自棄になります。

彼と過ごした男二人の6年間はとにかくかけがえのない時間でした。
自分にとっては再婚した、生涯パートナーと出会った、という感じで。

もちろんその間、色恋沙汰がなかったかと言うとそうではないですよ。でも家に相棒が待ってるんで、付き合い悪くなっちゃうんですよね。笑 それでデートもめんどくさくなって、結果的にフラれたりもあります。苦笑

この仔と生涯を共に過ごしたい、そんな思いだったのです。

その病は突然に・・・

それはいつもと変わらない日常の中に急に現れ、一瞬で多くの当たり前を奪っていってしまいました。

血栓症

心臓がポンプとなり、作られた血液が身体全身を巡り、また心臓へと戻る。
生物はそうやって血液中に酸素と栄養素を含ませ、供給しています。しかし、心臓が少し弱くなると、送り出さなければいけない方向とは逆側に血液が流れてしまい、その血液が凝固してしまうようです。それが「血栓」と呼ばれるもの。そして、その血栓が血管の流れを悪くし、血管につまってしまうと血を止めてしまうんだそうです。それが血栓症という病気。

フォントは血栓症になっていたのです。

朝、いつものように私とともにベッドから起き、私の背中を追いかけるようにリビングへ入ってくると、下半身がまるで力が入らないような状態で、後ろ脚を引きづっていました。すぐに異変に気がつき、動物病院へ電話をかけ、向かう準備を進めていると、彼はすでに部屋の数カ所で嘔吐をしてしまっていました。おそらく相当痛く、苦しかったんだと思います。

病院に着き、彼がゲージから診察台に出てきたとき、彼はすでに両脚下半身がぷらんぷらんしてしまっていました。症状の悪化は止まりませんでした。診察をしてもらいましたが、現代の動物医療において、血栓症の特効治療方法はないらしく、生存確率は5%。体力が続けば1年、早ければ、数日で命を落としてしまう可能性もある、ということでした。

急に突きつけられた無情な現実を到底受け止められる余裕もなく、呆然とただただ涙を流すしかできませんでした。外科治療と内科治療の選択を提示していただきましたが、外科治療は合併症などの可能性や麻酔がきれて意識が戻らない可能性もあり、ぬくもりあるままお戻しできない可能性があるということも教えてもらい、注射をする内科治療で彼の病状を軽くしてあげる、ということを決断しました。

4種類の注射1日分。先生から打ち方を教えてもらい、24時間で12本の注射を打ちました。しかし、病状の悪化スピードは緩まることなく、翌日に天国へと先に旅立って行ってしまいました。それが今週の日曜日と月曜日の出来事でした。

月曜日は仕事で久しぶりに外出の予定がありました。仕事を終えて、すぐに家に戻り、彼に声をかけた時はすでに呼吸が細く、荒く、苦しそうな状態でした。最後かもしれないと思い、彼をそっと抱きしめて「フォントただいま!待っててくれてありがとう!今帰ってきたよー!」声をかけてあげると、いつものように私の手を必死に舐めてくれようとしてくれました。でももうその時は彼の体力がなく、実際には口と首を頑張って動かそうとするだけで身体が自由に動かないくらいまで消耗してしまっていました。「今までありがとう!フォンちゃん大好きだよー!!僕のそばにいてくれてありがとう」そしてベッドにそっと彼を戻してあげると、その後は10秒もしない間に呼吸が止まってしまいました。

最後の最後まで私のことを待っててくれてたんだな、と感じました。

一人で家でお留守番させたり、朝も起きるのが遅くてお腹を空かせてしまったり、私は彼のことをずっと待たせてしまっていて、彼は私のことをずっと待っててくれていました。

人生をやり直せるのならどこからやり直せるだろう、そんなことを考えてはそれまでの自分の時間の配分を悔いたりしました。どこかからやり直せたらこの結果は変わるのか、結果は変わらずとも過ごせる時間の質が変わったのか。

そんなことを考える自分の今を彼は望んだのだろうか。

ちなみに、結構冷静でリアリストな自分はこの先悲しい出来事で涙を流す事はあるのだろうか、心から泣くことはあるんだろうか、とふと映画を見ながら思ったことがあった。今回のこの出来事を俯瞰して捉えていたとき、悲しい出来事でちゃんと泣くことができる人間なんだな、と少し自分に安心した。

天国へ送る

冷たくなった身体をきれいにブラッシングし、痛まないように保冷剤とドライアイスで丁寧に包み、家で最後の時間を過ごした。動物のための葬儀場を準備し、天国まで見送った。悲しみと感謝の意が入り混じって自分の感情の整理がつかないんだなぁ。それでも病気になってしまってからの1日は辛かった。彼が苦しそうにしている姿を見ているのが一番辛かった。だから、彼が苦しむ時間が短く、楽になれたのならそれはそれで良かったのかもしれないと息を引き取った時に心が少し軽くなった。

これが私の生涯の相棒との出会いと別れの一部始終。
突然悲劇が現れて、今までの当たり前を奪っていってしまった。
彼がいなくなってから数日経つが、日常の様々な場面にまだ彼はいる。

朝起きた時の枕元、朝ごはんのお皿、
仕事中に遠くで聞こえるトイレ砂をかき混ぜる音、
遊んでくれと要求する15時、夕飯前に食べる昼食。

ずっとくよくよしていることは望まないだろうと自分に言い聞かせて、ポジティブなありがとうと感謝の気持ちに変換するけど、まだまだおせんちになる瞬間もたくさんある。こればかりは仕方のないことだ。1つ1つゆっくり時間をかけて、また新しい日常の当たり前に塗り替えていくしかないんだろう。

彼は私にかけがえのない大切なものを与えてくれた。
来月私は1つまた歳をとるけれど、この2021年10月は私の人生の中でも大きな出来事として、老いぼれでヨボヨボになっても心の中に残り続けるんだろうと思う。

そんな大切な思いと記憶を記録に残したくて、
取り留めもないのに書き始めてしまいました。

最後までお読みいただきありがとうございます。
お節介ですが、皆さんは大切な人との時間割に後悔がありませんように。
そして、仕事だけじゃなく人生が豊かで幸せなものになりますように。

またお会いしましょう!


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