出会いがあれば別れがある。-人との別れについての考察-

突然ですが、最近別れた人を数えたことはある?
出会った人のことに意識を向けること、出会った人の数をぼんやり思い浮かべることはありますが、別れた人に意識を向ける事って少ないもの。

自然消滅的にせよ、意識的に距離を置いたにせよ、
私たちはたくさんの別れを繰り返している生き物だと思う。

学生時代は、入学、卒業、新学期、選択授業、部活、サークルなど…いろいろな場面で出会いと別れがある。
大人になると、出会ったような出会ってないような薄いすれ違いが多すぎて、出会った!別れた!のような人との始まりと終わりがあまり感じられない。

だからこそ、たまにあるガツンとしっかりとしたピリオドのある出会いは、心に来るものがある。別れるときにエネルギーを使う。

私の話をすると、最近人と疎遠になった。わかりやすく疎遠になった。
薄いつながりで一年半ぐらい知っていた方だったけれど、仕事で関わることがありやり取りをしていくうちに、「この人となんだか合わないな。」と思うようになっていった。

プロジェクトや、イベントを一緒に開催するとき、お互いが何らかの「やる意味」を持っていないと共同で何かすることは難しい。

たとえば、わかりやすいことは「報酬」=お金。その他には、
やりがい、広報活動の一環、社会貢献、パイロット的なトライアル…。

その上で、なにをやるにも相手に対するリスペクトは必要なことだ。相手が自分の進めようとしていることのために「してくれた何か」に対して「ありがとう」という気持ちって大切だよね。

今回は相手から、お金も、時間も、労力も、それにかかる雑費もすべて当たり前のように求められ、それをこれからもやってもらうのが当然の権利と主張された。

その方はとある活動をされている講師だった。イベント開催は講師の方があって成立するけれど、それ以前にチラシを作る、SNSで発信する、チラシを外部に注文して、届いたものを関係各所に持参しておかせてもらったり、興味のありそうな方に案内したり。イベント当日までの参加者さんとのやりとり、当日の送迎etc…お金も労力もかかることがたくさんある。

それ以外にもいろいろとあるが、とにかく一緒に関わる方への愛がないんだなと感じて、事務局的なことをボランティアでやり続けてほしいと言われて、シンプルに「それは難しいかな~。」と感じた。

その人の活動はとても意味のあるもので、
広がっていけば自分や周りの人をホームケアできる人が増えていくと思う。
だけれど、どんなに、崇高な考えや理想をもっていても、関わりあうチームに愛がないと苦しい。

上で書いたような、「報酬」もなく、私にはやりがいも何もなかった。

だからこそ今回は自分から少し距離を置いた。そしてこの活動、コミットメントが当たり前ではないということを優しくつたえた。そうしたら、あちらも何かを感じたようで、気が付いたらSNSのフォローが外されていた。

フォローしあう関係 → 他人 に戻ったような形だった。
私からも連絡を取ることはないだろう。
これが、大人になってから起こる「別れ」なのかーと感じている。

「別れ」には、ネガティブなニュアンスを持ちがちだが、
今回のことで私は一種の「断捨離」のような潔さとすっきりとした気持ちを覚えた。

別れることはいけないことだ、できるだけ良好な関係を保っていかなければ…とそれにとらわれることで、心が疲弊し、目の前の仕事が手につかなくなり、自分を責める。

  1. それはなぜか、、、「周りからどう思われるか。」を気にしているからだと思う。「あの人、●●さんと揉めたらしいよ。」「続けないなんて、あの人きっと変な人なんだね。」こんな風なレッテルを貼られるのが怖い。そう思っていた。

ではレッテルを貼ったその人が、私の人生にこれからどれだけ関わってくるのかな?と考えたときに、多分「よく知らない他人」で終わるひとがほとんどなのだ。

Who cares? 

例えば、
我慢してその人間関係を続けたとして、その人にボランティアし続けることは自分の時間を生きていないということと同義で時間の無駄だし、
「よく知らない他人」の評価を気にして、自分の心を傷つけ続けるのは、先の見えない我慢、でしかない。

合わない人、変なことを言ってくる人、当たり屋さんみたいな人には
容赦なく「NO」を言おう。
SNSも気軽にフォローを外そう。何ならブロックしてもOKだと思う。

付き合いのある人から、他人へ、他人から、お互い関心を持たない他人へ。

出会って繋がっていく過程があるように、
繋がってから離れていく過程があってもいいと思う。

もともと人の心の動きを感じ取りやすい私は、生きづらいと感じることが多くて、苦しいなと思っていた。(今もよくある。)
でも、最近は相手から自然と「距離を置く。自然と別れる。」という選択肢を持つ練習をしている。2022年4月、11月、2023年2月。この3回3名の方と「別れることができた。」

私とあなたのスタイルは違うね。
そこまでの献身的なことは私にはできないかな。
あなたの主張していること、求めてることには愛が感じられなかったの。
あなたの心の問題、人生の問題と、こだわりの通りに生きることは私にはできないわ。

そんな言葉を自分の中でつぶやいた。

出会ってきた人のことを想うこと、
別れてきた人とのことを想うことで、自分のスタイルが見えてくる。

「別れ」はネガティブなことではなくて、
あなたが「自分の人生」を生きるためのきっかけ、
ブースターだと思ったらいい。

Cheer up and keep going.

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