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祖母が94年すごした広島をはなれる

今日、94の祖母がひとり過ごしていた広島の家を離れ、愛知にある施設に入ります。原爆にも耐え、本人は嫁いでから73年過ごした家をはなれるのはいろいろな思いがあるでしょう。一方で、愛知にはやさしい叔母・従兄弟家族がいるので、新たな生活としてきっとポジティブなことも多いはずです。

私は祖父母4人のうち3人がなくなっているので、今日愛知に移る祖母が唯一生きている「おばあちゃん」なのですが、今回の件でうまく声をかけられなかったなあ。。と思っています。

「小さいころから広島でいろいろとありがとう。落ち着いたら会いにいきます」ということばはかけましたが、祖母の心中を推し量るともっと適切なことばがあったのではないだろうかと考えてしまいます。

さびしい気持ちはあるはずです。ここにきて自分はどうしてもっとなにかをできなかったのだろう。。なんて考えてしまいます。この感じうまく言えませんが。。。気がついたそのときそのときにやるしかありません。

祖母はというと、まだ頭は元気で、スマホを使ってLINEで会話できますし、電話なんかでもハキハキとしゃべります。

でも、なにぶんここ数年足腰が弱ってしまい、こけて頭をぶつけてしまうということがありました。そこでここ数年は私の父が広島に行き、年のうち3分の2は祖母と過ごしていました。

でもそれもなかなかたいへんということで今回、愛知の施設に入ることになりました。

祖母の決意もなかなかだったと思います。なにせ生まれてから94年ずっと広島で過ごしていて、いまの家も73年住んでいたのです。敷地にはアパートもあって、そこに住む方々がいたので、いわば大家さん的立場も担っていました。

祖母はこれまで料理をしてはアパートに住む方々におすそ分けをして話を聞くなどしていたので、みんなから慕われていたようです。そのアパートを出て数十年たっても感謝してなにかあったら、いつも駆けつけてくれる人々がいるほどです。

さっきLINEを祖母にしたのですが「ありがとう。お父さん(自分の息子、わたしの父)によくしてもらってきたので決意したよ」と連絡が入りました。その後、ファイト!!というかわいい絵文字スタンプもついてきました。

わたしがいまここにいるのも祖母のおかげです。わが家に遺伝的に受け継がれた才能がもしひとつあるとしたらそれは「人柄」かもしれません。父方も母方もなんとなく安心感のある人が多いようです。

そしてこのわたしもよく「人柄」をほめられます。まあほめるところがないので「人柄」をいわれるのではないか疑惑はありますが笑、、、、ここは素直に受け入れています。

でも、まあ、もしかすると遺伝ではなくて、そうした安心感を父や母からこどもたちが見習って、代々みんなに備わってきたのかもしれません。そういった環境に生まれついたことがなによりラッキーだったと思います。

今日、愛知に旅立つ祖母を尊敬しています。どうしても自分がメディアの中で働いていると「名を成す」ことばかりめざす人が多いので、なにが本質かわからなくなりますが、ほんとうはこうした市井の人こそ尊敬に値するのではないかと考えます。

けっして祖母はなにか世に名を残したとかそういうわけではありません。でも市井の人として懸命に誠実に生きてきました。それってすごいことですよね。

そして今日「ファイト!!」というかわいい絵文字ですよ。。。こちらがはげまされてしまいました。

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そんな祖母を見習って、日々をたいせつに誠実に生きていきたいとおもいます。

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