サービス残業と丁稚奉公
サービス残業とは、就業時間外に働いているにもかかわらず、その分の給与が支払われない労働のことです。当然ながら、労働基準法で禁じられていますし、会社と労働者間で取り交わされている雇用契約に違反しています。
一部の優良企業に勤める方をのぞき、ほとんどのサラリーマンがサービス残業をいたしかたないものとして受け入れている現実があります。
労働の対価を支払わずに、働かせるのはただの奴隷労働でしかなく、奴隷制度自体を否定することで、近代社会は成立しました。つまり、日本は労働や雇用に関しては、前近代社会と言ってもいいでしょう。
あまりにも明確なので、サービス残業自体が良いか悪いかの評価は、さておき、そもそもなぜこういった状況がまかり通っているのか、職能の観点から説明をします。
聞き慣れない言葉かもしれませんが、丁稚(でっち)制度といったものが、江戸時代には存在しており、右も左もかわらない10代の若者が住込みかつ無給で雑務から仕事のいろはを学んで、職能を身につけてやがては一人前になるという制度がありました。
職能のない若者が、労働をして給与を稼ぐというのはなかなか難しいもので、若者がゼロからスキルを身につけるには、学校に行くか独学でなんとかするしか手段が手段がありません。そういった状況で、現場で必要なスキルを身につけることができる学びの場として丁稚はうまく機能しました。
その延長線上で現代でも、職能のない若者がスキルを身につけるために勉強を兼ねて仕事もするという風習はあります。職能のない若者が仕事につくのは今でも非常に厳しいものがあります。海外ですと、なんのスキルもない新卒の学生が企業に就職できるということはほぼなく、学生インターンとして企業で無給で仕事を学び、スキルを身につけて企業に採用されるというのが一般的です。
合理的に考えれば、なんのスキルも経験もない人材に対して、企業が研修をするというのは、給与を払うのではなく、むしろサービスを提供するため、研修費用を徴収しないと割が合わないです。
人材マーケットにおいて日本の場合は新卒信仰が強く、スキルも経験もない学生を囲い込んで、教育を施し、将来的に一人前になってもらい研修費を回収するというモデルになっています。
その一方で、現在の日本国内の労働法は労務の提供つまり労働時間に対して給与を払うという工場労働が一般的だった時代に作られた法律です。働いていなくても働いていてもそこに「いる」というだけで給与を支給しなければなりません。
そうすると、必然的にブラック企業を生み出す土壌ができるのです。