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背中の追い方【11月30日】

11月最後の日は言葉にしたい出来事がたくさんあった。何本かに分けて残しておきます。

昨日、鈍考についてnoteを書きました。

嬉しいことに、読んでくれたあなたが連絡をくれて、「やりたいことに向かって走る自分に憧れていたけど、気づいたら止まってはいけないし、止まるのが怖いし、どうしたら止まれるのかわからなくなった」って。

自分もそう思う瞬間は今でもあるなって。
でもそういう時こそ、僕は"かっこいい背中を追う"ことをしている気がする。

めっちゃ矛盾してるなと思って、止まれなくなる理由に誰かと比べるというのがあるはずなのに、言葉だけを見れば自分から積極的にそれをしているような気がする。
ということで、背中の追い方について考えてみたい。いうまでもなく、あくまで僕の考えなのです!!!

大前提、めっちゃ大事だなと思うこと。
僕はかっこいいその人には"なれない"ということ。
これだけは自分が死ぬその時まで、絶対に変わらない事実だと思う。だから、かっこいいその人にはなれないっていう事実をちゃんと受け止めて、諦めるということはすごく大事。

アフロさんも言ってた。
「他人は変わらない。お前が変われ。」って。だからやっぱり自分が変わるしかない。というか、僕が僕の力で動かせる変数を僕たちは、"自分"しか持ち合わせていない。

ということは、僕はかっこいい背中を追うことで、"諦める"ということを受け取っていることになる。

なんか諦めるって書くとすごくネガティブに聞こえてしまうけど。
もっというと、諦めることで、自分を許しているんじゃないかなと思う。僕たちが自分に起こさなくちゃいけない変化は、そういう変化なのだと思う。

だからここで大事になってくるのは、かっこいいと思って追っている人のスタンスなんじゃないかなと。
俺みたいになれよ!じゃなくて、お前はお前になれよ!っていう。そういう背中を見せてくれる人じゃないと、やっぱり自分をその人と比べちゃう。自分を諦めて許すんじゃなくて、自分に期待して恨んでしまう。

だからもしかしたら、僕が背中を追って手にしているものは、「お前のまんまで大丈夫だ」っていうそういうメッセージなのかもしれない。

でもやっぱり人生には、自分に期待して恨んでしまうかもしれない覚悟で進まなくちゃいけない瞬間もたくさんある。だからそのバランスをどう取るのかというのが大事だし、「俺みたいに頑張れ!」っていう背中を見せてくれる人、「お前はお前で頑張れ!」って背中を見せてくれる人、どっちも必要なんだろうと思います。

でもごく稀に、そのどっちの背中も見せてくれる人がいるような気がします。
多分その人は、僕にとって本当の意味で"かっこいい"と思える存在なのかなと思います。

"かっこいい"という感情は自分の背中を押すことも、自分を許すことも手伝ってくれる、僕にとって大切な感情な気がします。
あなたにとって、かっこいいはどんな感情ですか。背中を追うってどういうことですか。

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