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「ぎゅう丸」のハンバーグが1500円で食べてもらえるようになるまで

嬉野温泉 旅館大村屋がお届けする「嬉野温泉 暮らし観光案内所」にようこそ。連載のために月に1度は必ず嬉野温泉に泊まっている、ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。

嬉野の地で創業し、今や九州各地に店舗を展開する「ぎゅう丸」。九州にお住まいの方なら、ご存知の方も多いことでしょう。


嬉野が誇るハンバーグの名店「ぎゅう丸」とは

まず「ぎゅう丸」さんがどんなお店なのかをご紹介します。

ぎゅう丸は昭和56年に嬉野で創業。九州内で店舗を拡大しています。ぼくは今回、嬉野本店に訪問しました!

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ぎゅう丸 嬉野本店

出てきたハンバーグにはびっくりしました。

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ナイフを入れた瞬間に吹き出す肉汁!その肉汁が鉄板に落ちて「ジュウウウウウウ」と、心地よい音。

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ふわふわのハンバーグですが、肉感がしっかりある。ソースはマイルドで、子どもが喜びそうなマイルドな味なんだけど、大人でも楽しめるほど重厚。「親しみやすいみんなのごちそう」というイメージのおいしいハンバーグでした。

ハンバーグだけではありません。

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大きなパイの中に、コクのあるコーンスープがたっぷり入っている「パイ包みスープ」も名物メニュー。パイと一緒にスープを食べると、おいしい!

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子どもの頃から旅館大村屋の北川さんもお気に入り

「パイ包みスープ」の食べ方はいろいろあるそうで、人によって違うとのこと。ちなみに北川さんは「パイを全部崩してスープに入れる派」だそうです。

楽しくておいしいメニューを提供し続けている「ぎゅう丸」は創業40年を超える老舗で、嬉野の街に根付いています。

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今回は「うれしのカフェ」にて、「ぎゅう丸」の創業者である近藤浩さんに「ぎゅう丸」の創業ヒストリーと、嬉野の未来についてお話をうかがいました。

インタビューの模様はPodcast「嬉野談話室」でも公開しておりますので、ぜひそちらもお聴きください。


嬉野にとって「ぎゅう丸」とは?

ーー恥ずかしながら、ぼくは今回はじめて「ぎゅう丸」にお邪魔しました。ハンバーグもパイ包みスープもとってもおいしかったです。

北川1

嬉野に住むぼくらからすると「ごほうびに行くレストラン」というイメージなんですよ。たとえば、入学式や卒業式、運動会の後とかに。自分の子どもに対してもそうなんです。「頑張ったら行けるんだ」というお店。

北川2

ーーなるほど。ぼくも昔、地元にそんな洋食店がありましたけど、なくなってしまいました。

北川1

そんなお店が地元にあるというのは、「豊か」だと思います。どこにでもあるチェーン店ではなく、子どもが憧れるようなレストランが地元にあるのは幸せなことです。

北川2

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ぎゅう丸創業者 近藤浩さん

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そういうお店がなくなるのは「悲しいな」と思いますね。レストランがやっていける文化がある街の存在は重要です。

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北川1

全国どこへ行っても同じチェーン店ばかりで、日本中どこも似た景色になっているんですよね。それが寂しいなと思います。

北川2


「ぎゅう丸」のスタートは喫茶「あじさい」

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北川1

近藤さんは、嬉野生まれ嬉野育ちですか?

北川2

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中学生から嬉野で育ちました。親父が和食の料理人で旅館に勤めていまして。お袋が嬉野出身なんですよ。武雄高校を卒業して、レストランの調理場へ料理人の修行に行きました。その後、佐世保のレストランで働いているときに親父が亡くなって帰ってきたという流れですね。

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ーーレストランということは洋食ですよね。お父さんのように和食の道に進もうとは思わなかったんですか?

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本音を言うと、あまり和食をやりたくなくて……(笑)当時はあまり料理にも関心はなくてですね。なんだか「洋食」なら「海外に行けるんじゃないか」と漠然と思ったんですよ。「観光じゃなくて、仕事で海外に行ってみたい」という夢がありました。

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修行時代の近藤さん

北川1

帰ってきてすぐに開業したんですか?

北川2

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1年ぐらいして開業しました。当時は「ぎゅう丸」ではなく、「あじさい」という名前の喫茶店でした。当時は喫茶店ブームだったんですよ。

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北川1

嬉野にも「ブラジル」とか、いろいろ喫茶店がありました。

北川2

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そうそう。流行だからと、あまり何も考えずに喫茶店をやったんですけど、あまりうまくいきませんでした。「このままだと店がなくなってしまう」と思いました。なんとか3000万円を借りましたが、返すアテもまったくなくて。

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喫茶店時代の近藤さん

ーーかなり厳しい状況だ……。

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今までやってきたことの延長をやってもまったくうまくいかなくて。お店がきれいになったことで、お客さんには来ていただけるようになりましたが、客単価が低いわけです。

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ーー当時の客単価はどれぐらいだったんですか?

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600円とか700円ですね。100人来ても、6万円〜7万円。それでは、到底3000万円は返せません。

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北川1

そうですよね……。

北川2


トライアンドエラーを必死に繰り返す日々

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なんとか客単価を倍にしないといけないと思い、自分がやっている料理の値段やクオリティを見つめ直しました。「自分が1500円を支払って、この料理を食べるか」と考えたんですよね。

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ーーなるほど。お客様目線で改善をしていったわけですね。

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「これなら、自分でも1500円を出せるよね」というラインを目指してやってきました。また、場所が「嬉野」じゃないですか。嬉野の人口だけではレストランが成り立たないので、「30分ぐらい車を運転して行っても良いよね」という料理を目指しました。

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ーーかなり具体的なイメージですね!

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料理とサービスのクオリティの向上を図って、お客さんから「いいね」と言ってもらえるまで、10年くらいかかったと思います。

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北川1

10年間、いろいろ試行錯誤されましたか?

北川2

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自分が100やれるとしたら、101、102というくらいやっていました。とにかく、その時はもがいていたという感覚ですかね。力を振り絞っていました。

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北川1

トライアンドエラーをとにかく繰り返したんですね。

北川2

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失敗するか、成功するか、ではなかったので。もう「成功」しかない。もうお金を借りてるから。やれないのなら、夜逃げしかないと思っていたんですよね。ただ、その状況で自分が頑張れたのは、嬉野に家を建てたことですね。お袋が年だったので、なんとか最期は生まれ故郷の嬉野で過ごしたいので、離れたくないという想いがありました。

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ーーその想いがあったから、成功するまでやれたんですね。


料理人の「自信作」はなかなかウケない

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ーーお客さんとコミュニケーションをとりながら改善を尽くしてきたことで、気がついたことはありますか?

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自分で「この素材をこのテクニックで調理すれば、絶対においしい」と思うような料理は、なかなかウケないってことですかね。

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北川1

なるほど……。

北川2

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作る側視点だと「え、これとこれだけでいいの?」と感じるようなものがウケたという印象ですね。ウチの場合は、ですけど。

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北川1

お客様からの「反応」は、どう吸い上げていたんですか?

北川2

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現場ですね。当時は現場で自分が出て料理を持っていって、レジもしてって状態だったので。全部一人だと人手はもちろん足りないですけど、まあ、それは仕方ないですよね。お金を返さなきゃいけないですし……。

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北川1

そのような状況が変わってきたというのは、なにかきっかけがあったんでしょうか?

北川2

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10年ぐらい経過して、「ハンバーグ」や「パイ包みスープ」が美味しいと言われ始めてからですかね。

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誰もが「おいしい」とわかるメニューを

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ーー「ハンバーグ」や「パイ包みスープ」のメニューに行き着いたのは、どのような考えがあったからなんでしょうか。

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長年料理人をやっていて行き着いたのは「誰もが美味しいと判断できるメニューが良い」という考えです。たとえば、高級なフレンチのコース。さまざまなメニューが登場し、ソースがなんだ、素材がなんだと説明を受けるじゃないですか。でも、おいしいかどうかなんて、判断が難しいでしょう。

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ーーたしかに、そうですね。笑

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ハンバーグやスープなら「おいしい」とか「自分の舌に合う」とか、誰もが自分で判断できるでしょう。

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北川1

日本人がスタンダードに食べている定番メニューを「1500円」のレベルまで持っていこうという考えがあったんですね。

北川2

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そうそう。味はもちろん、見せ方とかもですね。そうしないと、よその街からわざわざ来てくれないと思うので。

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「ぎゅう丸」の2大人気メニュー誕生秘話

北川1

「パイ包みスープ」はひとつの名物だと思いますが、生まれたきっかけってあるんですか?

北川2

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ぎゅう丸名物のパイ包みスープ

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たくさん研究して、トライしたメニューの中の一つですね。当時は「本」で情報収集していて、トライしたと思います。

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北川1

「パイ包みスープ」を発売した時のお客さんの反応はどうだったんですか?

北川2

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反応はよかったですね。スープにコストはかかっているんですが、調理にはあまり手間はかからないので「こういうものが評価されるんだなあ」と思いましたね。

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北川1

子どものころから大好きでした。あのパイを崩して食べるのか、全部入れちゃうのか。人によって、いろんな食べ方があるんですよね。

北川2

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ーースープが出てきた時の「わあ」という感じが、ふつうのスープとは違いますよね。

北川1

食べる前にパイをどうするか、という一つ作業、アクションがあるのがいいんですよ。

北川2

ーーそうそう、それが楽しい。

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そんな感じでスープが一人歩きしていったんですよね。最初から狙っていたことではないです。

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北川1

ハンバーグは肉汁がたくさん出てくるじゃないですか。あれは狙いがあったんでしょうか。

北川2

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ぎゅう丸名物のハンバーグ

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狙いはまったくないですね。自分がおいしいと思うハンバーグを追求していたら、今の形になったんです。お客さんから「肉汁がすごいね」と言われて、「へえ、そうなのか」と初めて気づきました。

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ーーえーっ!そうだったんですか。狙ってたわけじゃないんですね。

北川1

ちなみに近藤さんが「これいけるだろう!」と自信があったのに、うまくいかなかったメニューって、どれぐらいあるんですか?

北川2

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そんなメニューの方が多いんですよ。100やったら、100失敗するという感じですよ。100やって100失敗した後で、何を捻り出せるかというところが重要だと思います。

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お土産話ができるメニューが重要

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ーーメニューの開発を続けてきた中で、重要だと感じていることはありますか?

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食べた後で「こんなものがあったよ」と他の人に言いたくなるようなメニューが重要だと思いますね。お土産話があるメニュー。

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北川1

なるほど。味はもちろんですけど、その「先」ですね。記憶に残るメニュー。

北川2

ーーたしかに「ハンバーグ」は肉汁の話、「パイ包みスープ」は見た目のインパクトや、食べ方の話など、どのように人を伝えるか、誰でもイメージできますね。

北川1

お客さんのリアクションをまず大切にされていて、エゴがないですね。やっぱりそうでないと、商売は成り立たないと思います。

北川2

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私はもともと、料理が大好きというわけではなかったんです。もちろん、今は大好きですけど。でも、完全な「料理人」になりきれなかった自分がいたから、良かった部分もあるのかなと思っています。

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ーーなるほど!!深い……。

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料理をつくることそのものよりも、作った料理がその後どうなっていくか。そこが見えることが重要でした。

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北川1

一般的な料理人の方だと「自分の料理だ!どうだ!」って感じなんですけど、その先まで考えてらっしゃるんですよね。そこがやっぱり「ぎゅう丸」が「ぎゅう丸」たる所以なのかもしれませんね。

北川2


店舗が増えると目が届かなくなるのでは?

北川1

嬉野店から始まり、お店が広がってきていますが、お店を増やし始めたのはどれぐらいからなんでしょうか。

北川2

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ここ6〜7年くらいでしょうか。芽が出なかった最初の時間が長いんですよね。今となっては「潜伏期間」と言えるかもしれません。笑 長くもがいていたな、と思います。

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北川1

店舗が増えていくと「目が届かなくなる」という問題もありますよね。どういったところに気を遣われていますか?

北川2

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「話す」のがもっとも伝わる方法だと思っています。スタッフと話す機会を大切にしていますね。

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北川1

その話す機会というのは、定期的に設けているんですか?

北川2

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相手の方が話す機会を欲しているかどうかですね。話す機会を求められていないのに話しても、何にもならないので。そういったところを見ながら「今は行ったほうがいい」「行くべきでない」などを判断しています。

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北川1

………理想の上司ですね。

北川2

ーーたしかに。理想ですね。笑

北川1

近藤社長は「押しつける」ということが一切ないんですよね。そこが成功の所以かもしれませんね。なかなかできることじゃないと思います。上司って、何かと押し付けがちじゃないですか。

北川2

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自分がこれまで生きてきて「最初から何でもできたか」というと、そうではないんですね。その年なりの考え方、やり方でやって、失敗して考えながらやっていくわけじゃないですか。小さな失敗はたくさんさせてあげようと思っているんです。

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ーーなるほど。チャレンジさせてくれるわけですね。

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上からダメダメと言われても、意味はないんですよ。自分の感覚で「本当にダメだった」と思わないと。いつまでも「本当は自分が思うようにやったほうがよかったんじゃないかな」と思い続けるじゃないですか。自分でそう思えたら、何も言わなくても勝手に伸びていくんですよね。

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ーー本気になれば、自分で勝手に学んでいきますもんね。

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社会に出た後って、自分で足りないものを見つけて、自分で学ぶことが大切ですよね。それをやってると、40代〜50代に大きな差ができますよ。

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「ぎゅう丸」はベトナムにも出店

北川1

最近では海外、ベトナムにも店舗ができていますね。ベトナムへの出店はどのようなきっかけがあったのでしょうか。

北川2

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ベトナムの店舗は、FCで「ぎゅう丸」をやっている方が、ベトナムに初出店するイオンに「ぎゅう丸」を出したいということで、相談を受けたんですよ。

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ーーなぜベトナムがいいなと思ったんでしょうか。

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ベトナムが発展がスタートする段階だと思ったからです。「ここなら、今までの経験が通用するのではないか」と思いました。日本だと、もういろいろなことが進みすぎていますから。新たなことを模索しないといけない。でも、ベトナムなら原点回帰という形でやれるのではないかと思いました。これまで経験した歴史をもう一度復習するような。

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ーーなるほど。ベトナムはまだまだこれから発展していくところなんですね。

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でも見てる感じ、あと3〜4年で日本を追い越しそうな勢いですよ。時代をどんどん飛び越している印象があります。日本のこれまでのように一つひとつ発展していくのではなく、急速に変化していく。その変化を受け入れていく雰囲気が街にあります。

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北川1

街にエネルギーがあるんですね。戦後復興の時代のような感じですかね。

北川2

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あの当時は「来年はさらに給料が上がる」と思ってましたもんね。今の若い人はそう思えない気がします。未来への希望が必要ですね。

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「嬉野が元気になって欲しい。無性にそう思います。」

北川1

近藤社長は今、「夢」はあるんですか?

北川2

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嬉野が元気になって欲しい。無性にそう思います。自分が育った街だからなのかわからないけど。

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ーー嬉野愛を感じますね。ぼくが福岡のお店に行った時「嬉野まで〜km」という案内板が店内にあって感動しました。

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ぎゅう丸 ゆめタウン博多店内にある案内板

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嬉野は常に意識しています。ぼくの勝手な想いですが、もがきながらもなんとかやれたのは、やっぱり嬉野の街の方々が利用してくれたからです。何か嬉野に返せればとは思っていますね。

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北川1

ちなみに、こちらの「うれしのカフェ」は昔旅館だった場所をリノベーションしたものですよね。「うれしのカフェ」を始めようと思ったきっかけはどのようなものだったんでしょうか。

北川2

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今回インタビューを行った「うれしのカフェ」

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自分の中でここは「嬉野らしい建物」だと思ったんですよね。こういう嬉野らしい建物が駐車場になるとすごくショックなんですよ。そこで、何度も断られましたが、なんとかこの建物を貸してもらいました。建物の中で何かしていればもつだろうと思い、カフェを始めました。

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ーーこのカフェはどのように活用して欲しいとお考えなのでしょうか。

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嬉野の未来を話したい人がいっぱい集まって話してくれたらいいなと思ったんですよね。ただ、世代差があって、今の30代くらいの方がどんなところに集まりたいのかがわからない。だから、そんなことがわかる人に自由に使って欲しいんですよ。

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北川1

自由に使っていいのなら、ぼくが自由に使っちゃおうかな。

北川2

ーー旅館大村屋からの距離感もいい感じですね。笑

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自由に使っていい場所もなかなかないでしょう。そんな場所になれたらな、と思ったんです。

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北川1

スナックとか飲み屋は多いんですけど、20代とか10代の人が集まれる場所が少ないですよね。ぼくは嬉野高校に年に2〜3回お話に行くんですけど、高校生のみなさんは「行く店がない」って言うんです。だから結局ファミレスとか、武雄のゆめタウンとかに行って終わり、と。嬉野の街にそういう場所があれば、若い人も嬉野に愛着を持つと思うんですよね。

北川2


嬉野市民が自ら未来を考えることが必要

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北川1

嬉野の未来を語る場所がないと思います。ぼくがこれまでイベントを行ってきたのは、語る場をつくるという目的もあります。会話しながらアイディアを出し合って、トライアンドエラーをしていかないといけないですよね。

北川2

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本当にその場をつくりたいですね。いろんな意見を出し合ってやってみて次、またやって次という方法しかないですよ。天才的な人が現れたらいいのかもしれないけど、やはり街の人の気持ちもあるし。

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北川1

「スーパーコンサルがきて、街が変わる」って基本的にはありえないんですよ。その人がいなくなったら、元に戻ってしまう。市民が自分たちで考えて動かないと、お金がなくなったらもう終わりですよね。

北川2

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お金がなくてもやれる方法はあると思うんですよ。補助金とかもありますけど、補助金がなくてもやれることをやって、補助金があるからさらに良かったよね、という状態じゃないと、なかなか厳しい。

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北川1

まずやりたいことをやる。それにたまたま補助金がついている、というのが本来の補助金の在り方ですよね。今は「補助金があるので、何かやろうか」とイベント会社に何か企画させる。順序が逆なんですよ。

北川2

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コンサルに頼んでもいいと思うけど、頼むなら「自分たちで街をどうしたいか」という根本の想いがないといけません。嬉野に生まれ、嬉野で育っていく。私はここで何ができるのだろうと考えるのが大事です。たとえば、私は自分の100%の能力を生きている間に使い切りたいと思っているんですね。「私は自分の持てる力を全て使って壊れた」のなら、納得できそうな気がするんです。

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北川1

たしかに。若い人たちにも知ってほしい考え方ですね。ぼくも若い人たちに嬉野から生まれた1人間でもいろんなことができるし、理想の人生かどうかはわからないけれど、しっかり楽しく生きていけることを知って欲しいと思っています。

北川2

ーー北川さんはイベントやポッドキャストなどで、そういう姿勢を日頃から示していますね。

北川1

ぼくが何でこう思うかと言うと、子どものころにバブルが弾けて、街が衰退していったのを見たからなんですね。楽しそうな大人がいなかった。だからこそ、ぼくは自分の子どもに「お父さんは楽しそうなことやってるね」と思って欲しいんですよ。そうじゃないと、次世代が嬉野に帰ってきたいとは思わない。

北川2

ーーなるほど。ご自身が若い頃の経験からなんですね。

北川1

だから、ぼくは嬉野から上京しました。「絶対、旅館なんて継ぎたくない」と思って。まあ、結局うちも大変だったので帰ってきたんですけど、やってみると楽しいんですよね。「やれる場」があるのは、幸せなことだなと。東京の知らない土地で生きていくよりも、良いものだなと思います。

北川2

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コロナ禍を経験した世代はまた違う考え方になるでしょうね。とにかく、嬉野が「希望」を持てるような街になって欲しいと思います。

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ーー近藤社長は嬉野の未来には何が重要だと思っていますか。

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嬉野の街の力がなくなってきている気がするんです。嬉野が湯布院や別府と比較された時に「嬉野へ行くメリットって、なんだろう」と思います。いちばんは「違いを出すこと」だと思います。

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北川1

先程の「ぎゅう丸」の話と同じですね。

北川2

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違いがあれば、選びやすい。せっかく行くのなら、嬉野は湯布院とは何が違うのか、一言で言えるような個性が必要だと思います。街としてのブランドデザインを誰がどのように描くか。そこが重要な気がしますね。

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――世代を超えて、嬉野の未来をみんなで考えていきたいですね。みなさん、ありがとうございました。


嬉野の魅力を次世代へつなぐために

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近藤さんが嬉野の原風景を残すために開いた「うれしのカフェ」で、街について世代を超えた意見交換が交わされました。これから、この「うれしのカフェ」で、どんな新しい発想が生まれるのか楽しみですね。

ぎゅう丸のハンバーグには、肉汁だけではなく「嬉野愛」がたくさん詰まっていることがわかりました。佐賀県だけでなく、福岡県や長崎県など九州各県に店舗がありますので、ぜひチェックしてみてくださいね。


「嬉野温泉 暮らし観光案内所」次回もご期待ください。


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