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旅立ちのときは、いつも突然に。

誰もがわかっていることではあるけれど、人生にはいつ何時なにが起こるかわからない。突然1億円が当選するかもしれないし、予期せぬ震災に襲われることもあれば、瞬く間に恋に落ちたりすることもある。気づけば北朝鮮のニュース番組で原稿を読むことになることもあるかもしれない。

これまでずっと昨日から今日に滞りなく進んできていたからと言って、今日と同じ明日はゼッタイにやってくることはないし、今日の自分が明日には自分じゃなくなっている可能性だってあり得る。

昨日の夜には熱海にいた僕が、今日の夜には鳥取にいるように、明日の夜にはレバノンでワインを飲んでいたって、なんらおかしくはない。


これらは、あり得なさそうではあるものの、「あり得ない」とは決して言い切れないことばかりです。もし、「あり得ない」と断言する人がいるならば、今一度【有り難き】の言葉の意味を考えてみる良い機会だと思う。

僕らはそんな当たり前を忘れながら生きている。


そう言えば、年末に読んだ『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』の中に、こんな一文がありました。引用します。

誰もみな、“自分が死ぬ”ことを本気で信じてはいない。「いずれ死ぬ」と「今すぐ死ぬ」は別物で、私たちは死を直面した人のように普段からふるまわない。

いつどんなときでも「今すぐ死ぬ」と思いながら生きることは、それはそれで苦悩な人生になる。そんな人生は誰も望まないし、推奨したくもないけれど、それでもやっぱり、当たり前だと思い込んでいることが当たり前じゃないと正しく認識しておくことは大事なことだとも思う。


人生は諸行無常だ。


そんな当たり前を思い返す日が1年に1回あって然るべきなのかもしれない。

いや、1日に1分でも1秒でも「原点を見直し心を整え魂を磨く時間」を持つ人生でありたいものである。


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というわけで、今日の記事は以上です。
誰に向けたわけでもなく、自分のために書き残した記事ですので、いつもと文体が違うのはご了承ください。

では、またあした〜!

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≫ 世の中には「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。


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