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神輿に「担がれる」タイミングか、神輿を「担ぐ」タイミングか。

ヒッチハイク旅をしていた頃、乗せてくれた人に言われた言葉。

“人生はタイミングが全てだからな。うまくいかないのは「タイミングじゃなかった」と思ってしまえばいい。大事なのは『その時がきたら飛び乗れる準備をしておくこと』だ。それだけは忘れるなよ。”

当時は「なんかいい言葉だな〜」ぐらいにしか思っていなかったけど、いま振り返って考えるととても深い言葉だとわかってきました。

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地元の鳥取で約3年間営業した『ホンバコ』という名のカフェを閉めて、8ヶ月が経ちます。100名以上の人の前で「僕がやります!」と宣言してからだと、もうすぐ4年になるらしいです。

ホンバコをやっていた頃は、文字通り『神輿に担がれた存在』でした。自他共に異論のある人はいないくらい、(鳥取の狭いコミュニティの中ではあるものの)時代のド真ん中に居させてもらっていたように思います。

その神輿から降り、自分の足で歩き始めたいま、先ほどの言葉が胸を打つんですよね。不安に苛まれることもなくはないですが、「今はタイミングじゃないんだ」と思うと自然と心も落ち着いてくる。

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逆に言えば、今こそ「神輿を担ぐ側に徹するタイミング」なのかもなと、そこまで振り切って考えられるようになりました。

ヒッチハイクで乗せてくれたあの人が言っていた『その時がきたら飛び乗れる準備をしておく』という言葉には、神輿の近くで稼ぐ側に徹しなさい(=神輿の側から離れないように)という意味も含んでいるような気までしてきています。

それに、若くして(実力が伴っていないのに)盛大に神輿に担がれたからこそ、その稀有な経験は「神輿を担ぐ側」になった時には武器にもなるわけで。

そうやって、神輿に担がれる側と神輿を担ぐ側を行ったり来たりしながら人生は進んでいくものなんだろうと、最近しみじみと考えにふけっています。

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今日、鳥取にオープンした「パン工房ほとり」のクラファンリターンが届きました。

店主の彼とは、去年の夏にホンバコで出会い、そして当時筑波に住んでいた彼を、僕は「鳥取へ帰ってきなよ」とそそのかしたりして…。(元々Uターンする予定だったらしいけど)

あの時に描いてた「一緒に仕事をする」とは違う形になってしまいましたが、鳥取に戻ってきて自分の理想に向けて挑戦を始めた彼のことを、僕は本当に心から尊敬しています。

そして、だからこそ、僕の出来得る限りの応援を続けていきたい。それが、僕なりの「神輿を担ぐ」というひとつの形なのかもしれないな、なんてたいそうな事でもないのにたいそうに考えていたりします。


何を伝えたいのか、よくわからなくなってしまいましたが、こんな記事でも読んでくださった方の心に響く何かがあれば嬉しいです。


では、またあした〜!


おまけ:新しい挑戦をはじめます。

ちょっと雑な終わり方をしてしまった感もありますが、「神輿を担ぐ側に徹する」という部分は熱海で意識的に取り組んでいます。

そのひとつが「街ごと居住」というプロジェクト。先日更新した惧れに打ち勝ち、決意を固める瞬間は、いつだって美しい。という記事は、まさにこの人の神輿を担いでいこうと思わされる瞬間のことを綴ったものだったりします。

今週末土曜日の「ATAMI2030会議」と同時開催で事業のプレゼン発表もあるので、興味のある方はぜひ会場にお越しくださいませ!

そんな風に熱海のプロジェクトに関わりを増やしているんですが・・・、

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