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最近、他人の記事を読まなくなったなと。

ふと気づいたことなんですが、以前に比べて他人の記事を読む機会が格段に減りました。ブロガーとしての是非は別の機会で論じるとして、間違いなく「読まなくなった」という事実がここにあるわけです。

そうなった原因をすこし考えてみたんですが、僕の場合は下記の3つに集約される気がします。

・本を読む時間が増えた
・SNSを開く機会が減った
・インプット媒体が変わった

ご存知の方もいるかもしれませんが、ほぼ1日1冊のペースで本を読んでいるので、純粋にWEB記事を読む時間が激減。加えて、その延長線上で、SNSを開く機会自体も減ったため、WEB記事にリーチすること自体も減りました。

さらに、以前はググって調べていた内容も、今では YouTube動画 で補うことが増え、情報をキャッチする媒体自体も変化してしまっているなと。

(ちなみに、『SNSの利用時間が減るほど現代人の幸福度は高まる』という研究結果も出ているので、僕の人生においては適切な方向に舵を切っていると自負してます)


で、この「WEB記事を読まなくなってきた」という現象は、おそらく僕だけじゃなく、思っている以上に多くの人に共通して生じているのではないかと思います。

何年も前から言われていたことではありますが、【WEB記事の価値が相対的に落ちている】という実感が強まってきているのかもなと。

特に、ここ数ヶ月で感じていることは、

情報の質と密度は「書籍」の方が精度が高く、
インプットの効率は「動画」の方が優れてる。

という切ない現実です。

前者については、WEB記事をアップする人が増えたことで、相対的に「情報の質」が下がり、相対的に「情報の濃度」が薄くなっているという意味で、

後者については、動画コンテンツが増えたことで、「視覚」と「触覚」を必要とするWEB記事より、極論「聴覚」だけでインプット可能な動画の方が、相対的に効率よく情報をキャッチできるようになったという意味です。

全員が同じように感じているとは思いませんが、少なくとも僕自身はそう感じることが多くなっています。


では、この先の未来に WEB記事 は不要になるのでしょうか?

僕の答えは「ノー」です
ただし、WEB記事として残っていくのはごく一部かもなと。(他人の記事を読まなくなったと主張している人の意見に価値はないかもしれませんし、ブロガーという「職業バイアス」も生じているかもしれないですが……)

ちなみに、WEB記事の価値が相対的に落ちている時代でも生き残るだろうと思われるテキスト記事は、

① 超プライベートな日記的コンテンツ
② 主観で書かれた随筆的なコンテンツ
③ 複雑な情報が整理されたコンテンツ

のあたりな気がしています。

① に関しては、おそらく有料化したクローズな場所でのコンテンツになると思います。たとえば、オンラインサロン内の投稿や、YouTubeのメンバーシップでのテキスト投稿などは、これに近いジャンルです。

② については、テキスト文化が生まれてからずっと求められ続けているものなので、しぶとく生き残っていくだろうなと。たぶん今後もSNSを中心にシェア拡散されるのは、主観的な随筆の類だと思います。

そして、ブロガー・アフィリエイターの生存領域になり得る唯一のコンテンツが ③ の領域。複数の商品(サービス)の一括比較や、バラバラに点在している情報の集約などが、ここに当たります。(要するに、書籍より情報の質と密度が高く、動画よりインプット効率の良い領域です)

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自分の備忘録的に書き始めてみたら、途中から結論(落とし所)を見失ってしまいました。w

直感的な仮説でしかなく、読み返してみても穴だらけの内容ではありますが、何かしらひとつでも参考になる部分があると幸いです。


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というわけで、今日の記事は以上になります。
そろそろ『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』の要約記事を書かねばと思っているので、近日中に更新できるように頑張ってみます。

では、またあした〜!

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