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50歳からは、アナザーラウンドでもうひと舞いを。

50歳になった。というわけで、それなりに「しっかりとおじさん」になったらすぐにしようと思って計画していたことがいくつかある。そのひとつは若い頃に気に入って買ったものの、自分の年齢じゃ身の丈に合わないと思って使っていなかった腕時計をつけ始めること。もう一つは、映画『アナザーラウンド』を観ること、である。長い目でみれば当然ほかにもいろいろと計画らしきものや指針はあるのだが、とにかく具体的で現実的、誕生日を迎えるとともに間をおかずすぐにやってみようと思ったのはこんなことであった。
腕時計と映画。熟成を待たずすぐにでも自分が変わったような気になれる最適なものとして、この2つをおいてほかに思いつかない。

そういうわけで、時計はワインダーで巻いている間に、早速真夜中に『アナザーラウンド』を独りで観る。こういう節目では、なにか、若さ滾る時代にタイムスリップするような映画(観終えて、それが遠いものと気づくのは好かない)や、老いを肯定的で前向きに描き倒す映画より、みじめなニュアンスも含めて等身大の姿を描きながら、可笑しくてやがて哀しい、あるいは逆に、哀しくてやがて可笑しい雰囲気の映画でじっくりと自分の置かれた状況に浸りたい派である。

それは、老いるということをネガティブに捉えているからではなく、老いと生きていくことの現実とその味わい深さを支持しているからである。若気の至りと同じように、老いの過失があり、若さの鮮度があるように老いの成熟がある。
生涯現役を賛美し、老いなど跳ね返すような「元気映画」を観る気になれないのは、それを否定してみせたり、強がって自己満足するような、逆説的な侘しさが馴染まないからかもしれない。いや、単に50歳を生きるということにはそれなりの悲喜こもごもがあるのだというリアリティにしか共感できない、ということなのだ。

『アナザーラウンド』という映画のあらすじを詳しくは書かない。どこにでもいる平凡な男が、人生を削りつつ漫然と日々の糧を得るうちに、ありとあらゆる夢やロマンを失い彷徨している。いわゆる「中年の危機」である。若さの弾ける職場で、冷え切った家庭で疎外感を生きている。同じような、しかし少しだけはみだせる仲間たちに背中を押されて「実験」という名の「青春探し」に漕ぎ出し、打ち上げ花火の儚さを知って今在る自分を受容する。それこそが、結局はもうひとつの新しいラウンド(一周)を祝福することだったという気づきを、全人的に舞踏する。

この作品にはリアルさと奇天烈さが混在しているという評価もあったようだが、私には、リアルを逆照射する大人のおとぎ話、デンマーク版“オヤジ・スタンド・バイ・ミー”的なノリもあって楽しめた。
中年たちの、年齢なりの生き様をコミカルに描いた名作は過去にも観てきた。『サイドウェイズ』や『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』など、いまも大好きな作品と同じ系譜にある作品だと思う。
男に限らず、ジュヴナイルな体験や感覚というのは人生で出会う様々な節目において一種のスイッチの役目を果たす。そうしたスイッチを押すことの良し悪しより、それをいつの間にかすっかり失ってしまうことのほうがはるかに貧しい。

もともとダンサー出身なのだから、主演のマッツ・ミケルセンがダンス巧者であることは誰もが知っている。それを匂わすように、酒を飲んでは悪友たちがマッツに踊れとけしかけるシーンが何度も現れる。「まぁ、踊るだろうな」と私も思いながら、なかなか踊らないマッツに焦らされるわけであるが、踊れるのに踊らないのがマッツ本人なのかマーティンという役なのか、境目がわからなくなってくる。

いよいよ映画のラストで、堰を切ったようにマッツ/マーティンがキレっキレに、ヒリヒリと踊るシーン(躍動感とともに、どこかオートマティックで唐突なダンスシーンの挿入が、ぎこちない「中年の危機」の焦りをも冷徹に、あるいはシニカルに暗示して痙攣している感じもまたいい)で、劇中のアレコレやそれを望んで観た私のすべてが洗い流され、悪いこともこれからの小さな幸せも、すべてが統合されて、中年という今を生きることのじわりとした喜びを全身に受け止めることになる。かすかな心の弾みを感じながら…。
シャンパンやビールの雨の中を舞い踊るシーンに漂う、お道化た、しかしどこかくすぐったいような高揚感は、名作『雨に唄えば』の名シーンへのオマージュのようだ。

とにかく、こんな役であれマッツ・ミケルセンは格好いい。どこかのサイトのインタビューで、「歳を重ねることと闘うのではなく、年齢と共にあるべきだ。品格を持って成熟していくことが大事ではないか」といったような彼の言葉を読んで、『アナザーラウンド』を観た私も、ああ、そういうことだよな、としみじみ共感できたのである。

60歳、70歳になったなら、また違うかもしれない。しかし、数日を生きてみて、自分にとっても50代というのはちょうどいい気がしている。色々な意味でこなれてきて、若さだけで突き進んでいかない感じ。賢い諦念を持ちながら適度なユルさを楽しめると表現するべきなのか、おそらく本気な時期があったから、心身のアソビの部分の質がダレない。そういう軽さを手にした感じがある。
明日は、螺子の巻き上がった時計で、アナザーラウンドを少しだけ舞ってみようか。(了)

第93回米アカデミー国際長編映画賞受賞『アナザーラウンド』(2020)

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