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「アイヌもやもや」は最高の教科書だ

  最近、差別についてフリートークする機会があった。性的少数者についての会ではなく別の社会的少数者がテーマだったので、私も多数派/マジョリティという立場性から話した。持ち時間は5分。思いの丈を充分に伝えるには私の技術が足りなくてガッカリした。100人の前で180分語り続けることならできるのに、自分への失望がひどかった……しかし何より残念だったのは「アイヌもやもや」という優れた本を紹介できなかったことだ。書名だけでも覚えて帰って下さいね、と言う暇もなかったのが心残りで。

 この本ね、めちゃくちゃイイんですよ。アイヌのことが分かるから? もちろんそうなんだけど、しっかりと差別とは何か(何が差別なのか)が分かるようになっている。著者の北原モコットゥナシ氏はまさにそれがしたかったのだろうし、それに成功している。中高生から大人まで誰でも読める内容でありながら、差別に向き合う上で必要な知識を過不足なく授けてくれる。心を育ててくれる。

かわいくて優しくて、しかし与えてくれるものの大きさが、凄い

 「差別がどんなものかなんて知ってるよ」――と、言いたい人たちは大勢いる。「これは差別じゃなくて区別なんで」とうそぶくヘイタ―と「当社はLGBTの方たちに対する差別などありませんので」「私、偏見とかないんで」と宣言して今も差別のさなかにいる人々を置き去りに自分だけ気持ちよく解放されていく離脱組。そしてアイヌ差別が解決済みだとどこか思い込んでいるあまりにも多くの「わたしたち」。いやいやいや、まず読んでみ。本を作るときに、どんな思いがあるべきなのか、何ができるのか。――たとえば私はそのことを考えずにいられなかった。これはそういう読書でもある。

田房永子氏の漫画に胸を突かれ、北原さんの思いの深さに打たれる

打たれた。「打ちのめされた」と言ってもいい、ある理由

 アイヌも、被差別部落や在日や性的少数者と同じように不可視的マイノリティだ。カミングアウトをしなければ傍目に分からない人たちだと言える。私たちはその一面から非常に近しい経験をしていて、多くの感情体験を共有できる。だからいつか一緒にできたらいいなと考えていた。一緒にできなければいけないという問題意識があった。ただ企画は通らず、理由は(ここでも)私の力不足に尽きるのだけれど、「一緒に」ってどういうことができるのか、どんな形で示せるのか、誰にもイメージがもちにくい問題があるんだろう。しかし「アイヌもやもや」はその点で明らかに先を行っていて、思わず「こういうことができなきゃダメなのに」と一人ごちた。この本に忍ばされてある静かで力強いエールは、私に居ずまいを正させる。「北原さん、ちゃんと受け取ったよ。ありがとう」と、性的少数者は言わなきゃいけない。ちゃんと受け取らなきゃダメだ。そして、一人でも多くの人がこの本を受け取ることができるように、宣伝協力くらいさせてもらっていい立場だぞ、マジで。今週末はパレードか。こういう本があることも思いながら歩けたら更に感慨深いはずなので、紹介が遅かったことを謝ります。ほんと、ゴメン。


 トークイベントが済んで、会場にいた顔見知りの方と話した。ジェンダー問題界隈で最も重要な実践をされている方だと私が思う人なのだけれど、「アイヌもやもや」をパラパラとめくって、「あ田房さんだ!」「かわいい!」「これはいいですね!」ととても喜んでおられて、こちらも我がことのように嬉しかった。我が意を得たり、という感覚。そのままお渡しして読んでもらおうとしたら、「いえ買います。貢献したいんで」とキッパリおっしゃった。ですよね。おれも貢献してえ。

 昨年末にステキな本が出版されていた。あくまでも敷居は低く、しかし志はとても高い本だった。だから沢山の方に読んでいただきたいと思う。「わかんねー」と駆け出す子に対してさえ、愛情をもって書かれた本だ。あなたはこんな本に、まだ出会ってなかったと思うから。


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