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フィルムEOSの頃

キヤノンはブランドイメージを作るのが上手い。ニコンのイメージが伝説で築かれたのにくらべて、キヤノンは自らの発信力が強いのだ。EOSというシリーズがその最たるもので「キヤノンのEOS」と言わずとも「EOS」で世界中に通じる。これは凄いことだ。

私が写真を始めた1980年代は圧倒的にニコンが強かった。特にプロの世界ではほぼ独占と言っても良かった。ゆえにニコンには保守的なイメージがあり、一部の反抗的なプロがキヤノンを使っていた。両方のプロサービスに入っていた経験があるが、全般的にニコンは堅い雰囲気で、キヤノンはトッポイ人が多かったように思う。

仕事を始めたころはニコンF3Pの天下だった。1988年。通信社サンテレフォトの仕事を得るが、ここの機材がキヤノンだった。NewF-1とT90である。私は出たばかりのニコンF4Sで仕事をしていた。F4はオートフォーカス機能は備えていたものの、当然のようにマニュアルで撮影していた。当時のプロはそれが普通だった。

1987年にEOSの初代600シリーズが発売になっていた。しかしミノルタのα-7000同様、プロは見向きもしなかった。サンテレフォトの夜勤でABさんという人がいた。カメラマンではなく暗室担当だったがカメラ好きで多くのカメラを持っていた。ABさんがEOSを真っ先に買って持ってきた。「え?まだ手でピントなんか合わせてんですか?」と軽口を叩きながら撮ってくれた。

副部長(当時)のTさんやIさんが手に取る。みな興味はあるので「ふ〜ん」と感心する。「仕事はともかく」という事で購入する人が増えていく。おそらくどこの写真関連会社でもこんな風景が見られたことだろう。

私も同様だった。もちろんニコンが絶対だと思っていたし、何よりもEOSのプラスチックでペコペコした外装は使う気がしなかった。しかし1994年頃だろうか。NewF-1を使っていた親友MがEOS Kissを買った。「Kiss」という名称がまったく似合わない彼が持つ、その小さなカメラは魅力的に映った。「けっこう使えるよ」と言われて影響を受け、遊びで1台購入した。

とても軽快だった。Mは続いてEOS5を買った。私も後を追うように購入する。「これは仕事によっては使えるぞ」と確信した。この頃にはすでにサンテレフォトでもEOS-1やEOS5を導入して使われていた。1995年6月。私個人の仕事で初の海外取材があったが、思い切ってEOS5とEOS Kissで行ってしまった。酷暑の東南アジアでの強行軍にその自動化された機能は最適で、写りはもちろん良好だった。

プロ用のEOS-1はまだ発展途上だったが、改良機のEOS-1Nでほぼ完成された。1995年11月。2台のF4Sその他のニコンを手放して、EOS-1Nと2本のF2.8ズームを購入。のちにボディをもう1台追加。通信社を辞めてフリーとして食えるようになり、私の人生で最も多忙だった1990年代後半は結果的にキヤノンで稼いだのである。

1998年8月結婚。数年後に「仕事」ではなく「私事」で使っていたライカを手放す。すると無味乾燥なEOSだけでは嫌になり始めた。わがままなものである。EOSは優秀なのだが、それはそれとしてニコンを使いたくなる。まだ現行品だったF3とNewFM2と数本の単焦点レンズを新品で購入した。

前述した海外取材だが、私より干支がふた回り上の編集長Nさんがとてもせっかちな人だった。長年同行していたベテランカメラマンのISさんは、こだわりの強い人でずっとニコンF3Pと単焦点レンズを使っていた。その二人が取材中にいつも衝突してしまい、コーディネーターのTさんが「もっと使い勝手が良くて、編集長の言うこと聞く若いカメラマンはおらんのか?」と探していたのが、当時30歳の私に声がかかったきっかけだった。

EOSのスピードを生かしてバシバシ撮る私はとても気に入られた。ベテランカメラマンのISさんと交互に適材適所の取材に行くことになった。取材にも慣れた数年後、編集長でなく同年代の編集Oさんと組む事が多くなる。Oさんは編集長と違ってのんびりしている。何でも話す仲で私がニコンを再び使い始めた事も知っていた。

2000年頃。「朝日さん。次の取材はニコンで撮ってみたら?」とOさんに提案された。もうそろそろ「自分の色」を出してもいいんじゃない?と。編集長と同行するときは、どうしても「素材」としての撮影を心掛ける。しかしOさんは朝日さんの世界で良いと言ってくれた。

結果は良いものに仕上がった。「さあ、これからだ」と思ったが、その少し前にクライアントの担当者が替わっていて制作方針も変わっていき、その媒体はその制作会社から離れてしまった。ほどなくして制作会社も解散した。

2000年代前半。時代は急速にデジタル化してゆく。世の中の仕組みも大きく変わり、ついてゆけない私は仕事が激減していった。2003年。一念発起し不要な物を処分して、デジタル一眼レフのEOS10Dを購入。

購入して帰宅し、カメラの箱を開けていると電話が鳴った。某新聞の記事広告ページのGさんだった。その仕事もデジタル化以降は、記者が撮ることが多くなり久しぶりだった。「朝日ちゃーん!元気〜?ごめんね最近は仕事が出せなくて」「急で申し訳ないんだけど、明日ってあいてる?」「撮ってすぐ欲しいからデジ(デジタル)でお願いね」

奇跡が起こった。必死で使い方を覚えて翌日の仕事に行った。やはり前向きに動けば良いことが起こる。嘘のような本当の話である。

さらに数年後。詳細は忘れたが、そのデジタルEOSのシステムに待ち望んでいた焦点域のズームレンズが出た。しかしマウントに小変更があり、そのレンズは10Dには使えず後継機の20Dを買ってくださいということだった。「キヤノンのこういう所が嫌いなんだ!」と怒り狂った私はEOSを捨ててニコンに戻ったのだった。

親友Mは「朝日はニコンの人だよな。何だか無理があったよ」と言って笑った。さすがMである。私のことを分かっている。ずっと「ニコンが好きだけど、EOSは便利なので使っている」と自分で自分に言い訳を続けていたのだった。

さて冒頭の写真はEOS RTである。
なぜこれが今ここにあるのか。

話は1991年頃に戻る。通信社サンテレフォトは報道機関であったが海外からの写真を転送する業務が主で、撮影の最前線というわけではなかった。国内の撮影は皇室や何かトピックのあるスポーツなど。他に社長の関係?とかで、誰でも知っているインフラの某大企業の撮影を請けていた。

ある時、その某大企業のAZ会長の撮影があった。肖像写真というほど大げさなものではなく、証明写真程度の撮影だった。AZ会長は超の付く写真嫌いで有名だった。わずか数枚撮っただけで「もういいか!」と席を立とうするという話だった。

写真部の若手のエース(と言っても私より一回り上だったが)のAOさんが撮影に行った。AOさんはEOSを嫌いNewF-1を長いこと使っていた。これでもかと照明を用意し颯爽と撮影してきたのだが、ポジの上がりを見ると、すべてのカットで何とAZ会長の眼鏡にストロボの反射が入っていた。大失敗だ。

ただでさえ写真嫌いの会長である。副部長Tさんは頭を抱えた。尻ぬぐいの再撮影など誰も行きたくない。

以前に田沼武能さんの話をこのnoteで書いた。その田沼事務所のお弟子さんにTNさんがいた。年齢は私より少し上でいつも仲良くしていた。田沼事務所の仕事をしながら、アサヒカメラや他の雑誌の撮影を始めていたころである。TさんはそのTNさんに白羽の矢を立てた。そしてまだ経験不足で「緊張しちゃうとマズイから、朝日、助手で行ってくれ」と私も行くことになった。

二人で打ち合わせをした。TNさんはオリンパスがメインだったが、師匠の影響でEOSも使い始めていた。「これを使おうと思う」と取り出したのが、このEOS RTだった。

EOS RTについてザックリと説明しよう。
詳しくは検索してほしい。

一眼レフはミラーとプリズムでファインダーに像を導いている。撮影の瞬間だけそのミラーが上に跳ね上がってシャッターが開き、フィルムに像を結ぶのである。だから実際に写る瞬間は、撮影者は被写体を見ることが出来ない。これは欠点とされているが訓練でそれを補うのがプロだ。

ところがこのカメラは「ペリクルミラー」という半透明の膜のようなミラーを使っていて、それ自体は撮影時も動かない。だからファインダーに行く分だけ若干の光はロスするが、撮影の瞬間が見えるというわけである。

「これなら眼鏡の反射も分かる!」

写真嫌いの会長のために、照明も出来るだけ簡素にした。普通に写っていれば良いのだ。まずアンブレラ付きのストロボ+逆側にレフを置いて撮り、その後に念のために押さえとして、素早くアンブレラを外して天井バウンス+膝の上に丸レフを差し込もう。と手順を決めて入念に露出を測った。RTはペリクルミラーなので露出補正が必要になる。

結果は大成功!Tさんも大喜びだ。それからかなりの年月が過ぎて、失敗したAOさんにサンテレフォトの同窓会で会った。「朝日は人物を綺麗に撮るんだよなあ」と言っていた。AOさんの記憶では私が撮ったことになっているらしい。そして今でも悔しいんだろうなと思うと面白かった。

その後に私も確かRTを買ったと思うが、あまり覚えていない。買ったとしても使う機会は訪れなかったと思う。宝の持ち腐れになっていて、記憶から消し去ってしまったようだ。

時は流れてデジタル時代。私はニコンに戻った。フィルムカメラのEOSはどんどん値崩れしていく。憧れていたEOS-1NRSはRTの上位モデルで同じペリクルミラーだった。90年代後半に欲しかったが高すぎて買えなかった。それが中古で2万円台まで下がっている。まあでもあの大きさは買っても使わないよなあ。

以前にTwitterでやり取りしていたカメラ好きの人がいる。ニコンやオリンパスの機械式カメラをたくさん持っているが考え方が柔軟な人で、EOS Kissとパンケーキの40mmを愛用しているのが良い感じだった。その40mmはフィルター径が52mmなのでGNニッコール用にフードだけ買うかと思っていた。

しかしこの所のマイブームでその40mmが欲しくなった。だがEOSのボディに魅力的な物がない。何となくネットを流していると、RTが目に留まった。TNさんとのエピソードや買っても使わなかったことなどを一気に思い出した。しかもその値段は数千円。昨日の飲み代よりもずっと安い。40mmも中古が豊富にあってフードも付属している。

最近では「オールドデジカメ」などと称して、一時代前のデジタルカメラを楽しもうという動きがある。私はまだその域には達していないが、30年以上前の創成期のEOS RTには懐かしさを感じて入手したのである。もちろん経年劣化ですぐに使えなくなっても、恨みごとは言わないつもりだ。

と、ここまでネットでの購入直後に書いた。そして今日の朝9:10に届いた。状態が良い。ボディはABマイナス(並品)でレンズがAB(良品)の表記だった。しかしこの中古カメラ店の並品は、外観に小さい傷がある程度でミラーの汚れやフィルムガイドレールの錆などは皆無だ。良品に至っては私の感覚では新品同様である。

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今回のボディは当たりだった。下手に欲をかいて高く売る店もあるが、この店は検品が確かでしかも安く値付けして売り切ってしまおうという潔さだ。そして万が一の返品対応も素早い。気持ちが良いのだ。

EOSに触れるのはおそらく17年ぶりくらいだろう。まず思ったのはマウントの口径の大きいこと。やはりFDからEFへのマウント変更は先を見据えた英断だったのだ。

EOS創成期である1989年に世に出たRTに、2012年発売のEF40mm F2.8 STMを付けるのは、実際よりも時代の開きを感じて楽しい。フルオートで撮ってみよう。


電子書籍


「カメラと写真」
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