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10日間かけて東北を一周してきた話


はじめに

 車を購入してから、毎年夏休みは長期の旅行に出ることが通例でした。2022年は山陰地方、2023年は四国、近畿地方。今年は東北を一周してみることにしました。
 前半部分はうまくテーマを設定できた(後述)のでそれに沿ったものになりましたが、後半はテーマもなく興味のある場所を巡った形になったのでうまく撮れた写真だけ紹介します。
 写真だけ見せろ!という人は各県の見出しまで飛んでください!

旅の目的

 ところで、自分がよく見ているYouTuberに「スーツ」氏がいます。彼の動画でうまいのは2つのテーマが設定されているところだなあ、と最近気が付きました。例えば、「男ひとりでハワイ旅行」というサムネに使えそうなインパクトのある表のテーマを設定しておきながら、動画の構成自体は「戦前、戦時中、戦後の日米関係」を裏テーマにして、裏テーマに沿った場所を巡る、という具合です。

 彼のように動画を作るわけではないので、せめて1つのテーマを設定した旅にしたい・・・と思い今回の旅を計画しました。
 また、旅行の目的は「百聞は一見にしかず」であると考えています。Googleマップやストリートビューで世界の写真が見られる時代ですが、視覚以外の五感を挙げるまでもなく、実際にその場に立つことで感じられる何かがあると思っています。
 そこで、今回の旅のテーマ(序盤)は、「東日本大震災の遺構を巡る」ことにし、中盤(というか青森県)は「漫画『ふらいんぐうぃっち』の聖地巡礼」としました。ただ、それ以降はテーマを決定できなかったので、簡単にまとめる程度とします。

大まかなルート

 関東在住なので、まずは福島の浜通りに出ます。そこから東日本大震災の遺構をめぐりつつ太平洋側を北上。青森県に突入してからは「ふらいんぐうぃっち」の聖地をめぐるためにむつ市からフェリーも使って一気に弘前市へ。その後は日本海沿いを南下、福島の中通りを見て帰る感じです。

矢印の数は宿泊の数とは一致しません

 写真はキャプションで明示しない限りSony α7R Vで撮影。使用したレンズは35mm F1.4 GM、24-105mm F4 G OSS、70-200mm F4 G OSS、20mm F1.8 Gのいずれかです。

福島県

 いきなり寝坊をかましたのでアクアマリンふくしまをあきらめて最初の目的地へ。

東京電力 廃炉資料館

 いきなりスマホの写真しかなく申し訳ないのですが、写真を撮る気になれなかった・・・。

Xperia 1 VIで撮影

 福島第一原発事故の概要から詳細な説明、原子力発電所の仕組み、現在の放射線量、廃炉の進捗などについて、科学ベースで詳細に教えてくれました。資料のいたるところに「驕り」と「反省」の文字が並び、技術力だけでなく慢心や思い込みも事故の遠因だったのだと実感できます。原子力発電の是非はともかく、福島第一原発に何が起きて、これからどうなっていくのかを科学的に勉強できるとても良い場所だと思いました。
 ツアー形式と自由見学形式がありましたが、ツアー形式を強く推奨です。質問もできるし、人に説明してもらったほうが頭に入ってくるためです。1時間ほどで終わるので時間を確保しておきましょう。

これもXperiaで

帰還困難区域周辺

背後の森の向こうに、だいぶ遠いが福島第一原発がある

 廃炉資料館から少し走ると、福島第一原発周辺の帰還困難区域の境界を見てとれました。大きな道には警備員の方がいて、トラックの出入りがある一方、細い道の全てが写真のようなバリケードで封鎖されていました。浜通りの帰還困難区域を南北に貫く国道6号は、基本的に右左折はできない旨の掲示がされていて、放射線量の減少やインフラの整備がまだまだ進んでいないと実感させられる地域でもありました。
 下に示す写真は先んじて避難指示が解除されていたり、特定復興再生拠点区域として帰還困難区域の指定が解除された地域から、帰還困難区域を写したものです。

左の電光掲示板には現在の放射線量(0.135μSv/h)が表示されている。なお、この値は環境省が示す除染実施の目安(0.23μSv/h)を既に下回っている。
細い道の全てが封鎖されている

津波浸水区間

ナンバーは消しゴムマジックで消しました

 福島県に限った話ではありませんが、太平洋側の道路にはいたるところに「津波浸水区間」の明示がされていました。海沿いの防潮堤の高さからかつてこの地を襲った津波の高さを実感でき、防潮堤の上に立って振り返ってみればたくさんの松が植えられていました。 松が植えられていた場所にはかつて家などが並んでいたのだとわかったとき、津波の威力を間接的に理解することができました。

防潮堤から。いい天気だ
防潮堤の内側には松以外ほぼなにもなかった。かつては家があったのだろう


東日本大震災・原子力災害伝承館

 ここでは主に福島県の被害について学ぶことができました。岩手県、宮城県の同様の施設と比べると、津波に加えて原子力災害の展示が多かったのが印象的でした。広島の原爆資料館をはじめ様々な戦争関連の博物館を訪れたことがありますが、まるで戦争のような被害の跡に絶句させられましたね・・・。

実際に使われたボード
イギリスの新聞。新聞の斜め具合がよく撮れたかも。

 また、屋上からは建設中の復興祈念公園や、遠くに福島第一原発(の廃炉作業をしているクレーン)が見て取れます。あえて取り壊さない震災遺構もいくつかあるようなので、また公園が完成したら行きたいですね。

まだまだ建設中の公園。それ以外は何もない・・・。
破壊された部分とそうでない部分がはっきりわかれているので津波の高さがわかったとか。
同様に、1階部分はめちゃくちゃだが2階部分はまだマシだった。
Xperiaの望遠+デジタルズームで、福島第一原発を撮影。


 加えて、特別展?かはわかりませんが、震災時に現地に入った報道陣による写真がたくさん展示してありました(撮影禁止)。ドナルド・トランプ氏銃撃事件のときの写真を見ても思いましたが、「その場」に居合わせ冷静に構図やカメラの設定をこなして撮影をする。プロのカメラマンの仕事を見ることができてよかったです。

震災遺構・浪江町立請戸小学校

 校舎を津波が直撃しながらも、全員の児童が助かった奇跡の場所、浪江町立請戸小学校。押し流された機械群やねじ曲がった金網に、津波のすさまじい力を実感しました。

押し込まれた機械群。整理のためではなく震災当日、津波で押し込まれた。
ねじ曲がった金網。
あの日助かった児童と先生の物語。小学校を囲むように配置され、あの日の流れを紹介していました。

長くなりすぎたので続きは次回・・・。


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