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10日間かけて東北を一周してきた話②~宮城県編~

はじめに

 下記「10日間かけて東北を一周してきた話」の続きとなります。旅の目的なども書いているので、まずは下記の記事をご覧ください。


みやぎ東日本大震災津波伝承館

 テーマが「東日本大震災の遺構をめぐる」、ということもあり、やはり行かねば・・・と決めたのですが石巻市の夏祭りによる交通規制、アップデートされていないカーナビのマップに苦しめられ、だいぶ遠回りしての到着になりました。

 飛び込んできたのは死者1万566人という数字です。福島県よりも非常に多く、宮城県だけで死者の50%以上を占めるという事実を思い知らされました。

これはXperiaで撮影

 宮城県は地形の影響で津波が高くなりやすく、女川町では遡上高(津波が到達した最高地点の海抜)34.7mを記録したそう。これを知って、その後女川町を訪れることになります。またこの施設の屋根の高さは津波の高さと同じ高さとなっていて、津波の高さを数字だけでなく実感できるように作っていたのも印象的でした。

 公園内は綺麗に整備されていますが、丘の上にある、かつての住宅街を写した写真が展示されています。ここから公園を眺めると、かつての暮らしは全て破壊されてしまったのだと実感できます。この丘はこの旅を通じてかなりおすすめのスポットです。

 ここにも松が大量に植えられています。松は東北の太平洋側でたくさん見かけることになります。おそらく保安林として砂が飛ばないように植えられているのだと思いますが、砂が飛ばないだけなら芝生もあるので、松は復興のシンボルとして扱われているのかもしれません。

震災遺構 旧女川交番

 津波伝承館で津波の遡上高が34.7mに達したと知り訪れた女川町。これは基礎から横倒しになった旧女川交番です。横倒しになっているからか、建物自体の大きさの問題かはわかりませんが、骨組みを残して破壊された建物よりも津波の威力を実感した建物でした。

Xperiaで撮影

 これは東北で津波の被害を受けた地区に共通していることですが、土地自体をかさ上げすることで、津波対策をしているということみたいです。東日本大震災の復興とは、建物を立て直すだけでなく街自体の造りを大きく変える必要があり、今まさにそれが実行されているのだと実感できます。旧女川交番はおそらくCエリアにありますが、かさ上げされていないので、もっとも海に近いCエリアからは見下ろす形となります。どれくらいかさ上げされたかもよくわかり、かなり面白いと思いました。

熊野神社

 

 街の最も高いエリアにあるであろう神社に参拝。造りがかなり新しいので、おそらく震災発生後に再建されたものと思います。街全体を見渡せるようで・・・そこまで眺めがよいわけではないのですが、旅の無事をお祈りしました。

震災遺構 旧防災対策庁舎

 女川町から更に北上し、南三陸町の震災復興祈念公園にある旧防災対策庁舎を見学。周り一帯はきれいな公園として整備されており、この庁舎は階段をだいぶ降りた箇所にあります。女川町と同じく、庁舎はかつての海抜の位置に残されている一方で、公園自体は上にあって、周囲一帯がかさ上げされたことを実感できます。骨組みだけになってしまったこの建物は、他の震災遺構と比べてもことさらにダメージが大きいように思われ、夕暮れに照らされる遺構をしばし眺めました。

公園のなかの高台から。庁舎がある場所と、現在の町並みの海抜が大きく変わっていることがわかる

気仙沼市

 南三陸町から更に更に北上。すっかり日が沈んだころに気仙沼市へ到達。これは駐車場からほど近い展望台から撮影したものです。実はこの日、気仙沼市では年に一度の夏祭りが開催されており市内は交通規制で大混雑していました。知らなかったとはいえ、写真を撮っている間に交通規制は解除され、ホテルに到着することができました。
 写っている大きな橋は気仙沼湾横断橋。2021年に開通し、宮城県内における「復興道路」の一画を担います。奥に小さく写っているのは気仙沼大島大橋で、こちらも2019年開通。震災からの復興を示すこれらの橋は、旅の中でぜひとも見ておきたい場所でした。

 翌日は大島にも渡りましたが、昨日の反対側からも気仙沼の様子を見ることができてよかったです。ちょっとした登山になりました!

いや普通に登山だった

気仙沼市 復興祈念公園

 この気仙沼市にも復興祈念公園があったので、訪問しました。気仙沼市も津波で大きな被害を出した街であり、高台から気仙沼市と海を眺め、かつての被害にしばし思いを馳せました。

これで宮城県編はおわり。次は岩手県編です。


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