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コロナウイルスとインターネット

世界的な感染症が発生すると、インフラがアップデートされることが歴史的にも証明されているが、今回のコロナウイルスの影響で普及したインフラは間違いなくインターネットである。

世の中が移動できない⇒移動しなくても意外とできることあるよね!という風に変化してきたのは、間違いなくインターネットの恩恵だろう。
人が移動しないことで経済が回らないということが社会の中で認識され始め、人が繋がる手段がインターネット上にシフトしてきた。

オンラインミーティングやオンライン飲み会はその最たる例だろう。

しかし、オンライン○○は半年前に比べて完全に死語に近づいている気配もする。

瞬間風速的に起こったオンライン飲み会ブームは、今や頻度が減ってきているだろうし、もうやっていないという人も多いだろう。(今も移動の難しさを強いられている介護業界では重宝されているという話はある。)

時代を少し大きい視点で見ると、オンライン○○は一過性に過ぎないと個人的に思っている。

歴史的背景を見ると、災害や感染症では必ず何かしらの新たなインフラは生まれてきた。分かりやすい例は、東日本大震災によりLiNEが普及したことではないだろうか。

新たなインフラが持続的なものになる場合、『人の繋がり』『生命(日常)維持』というこの2点はインフラを整える大きな要因となっているのだろう。

その点では、オンライン飲み会はその2点を満たすことが難しかったということである。

反対に、オンラインミーティングは『人の繋がり』『日常維持』という点で社会の中で今も大きな助けとなり普及し続けている。最近では、オンラインミーティングをする際に、オンラインということをわざわざ言わなくなっていることも興味深い。

オンライン飲み会に関して言えば、対面式の飲み会を選ぶ人が増えてきたし、会うまでの移動時間も含めて直接会える飲み会の方が何倍も楽しいことが社会全体が改めて感じ始めている。(数ヶ月前までは、移動に掛かる時間的コストも含めて無駄と感じていた友人も、やたら会いたがるようにもなった。)


スポーツもやっぱりライブで見る楽しさをファンは求めはじめていて、その空間にいるエモーショナルな部分をオンラインでは解決できないこともあることを改めて自分自身も学んだ。(※もちろんオンラインでも方法はあると思うが、別のコンテンツとして扱われるため、リアルを代替えするものにはなり得ないということである。)

個人的には、オンライン○○はもはや数十年後には死語になると思う。

というよりオンライン○○のようにオンラインという言葉がついている限り定着しないだろうし、そもそも本当に生き残った時にはオンラインという名称が外れるはずである。

人の感性は普遍的で、どの時代でもその感性とやらが文化を育んできたし、新たな発見も生み出してきたのではないだろうか。
付加価値というものはやはり必要で、この付加価値はエモーショナルな部分に依存するものだと思っている。

やはり、美しい、おいしい、すごい、とか人が感動する、って大きなことでこれにより得たものは記憶として深く刻まれる。『バイブス』ってやつもそれに近いものなのか?
やはり人はそれらを無意識に求め続けているのではないだろうか。

もちろん、オンラインでもその部分を異なった手段で実現することはできるだろうし、そうなっていく未来も同時に起こってくると思うが、ライブや対面が代替えという形でオンラインでまとまることはないと思っている。

インターネットのデメリット

インターネットは世界を繋ぐものと言われているが、実はその反対ではないだろうかとふと思う時がある。

インターネットにより、情報の量も莫大になったが、果たしてそのことが全てメリットばかりなのかと疑問に感じることがある。

インターネットというのはアルゴリズムにより、自らに見合った情報が大量に流れる仕組みとなっているが、これはある意味で情報の分断でもあり、情報が無意識に閉鎖されているのではないかと思う。
やはり人には【24時間×生きる日数】という制限があるので、全ての情報をキャッチするというのは難しいし、そのことからアルゴリズムが生まれたのではないかとさえ思う。

実際のところ、情報を取っているつもりでも自分が知らない世界の情報に触れる機会は自らのインターネット上ではなかなかないだろう。実際、他人から聞いて、気になって、調べて、知る、ということはあっても自らの力のみで新たな情報を得ることは容易ではない。

これは情報だけでなく、人に置き換えても同じかもしれない。

インターネットで繋がった人間関係も、あくまで共通のキーワードの下に繋がっていることが多く、大きな視点で見ると、ある意味で閉鎖的になっていることでもある。

インターネット上では、知らぬ間に望まぬバイアスが無意識に発生していることがあることも忘れてはならない。

完全にコントール思考の枠の中で考える、ある意味で閉塞感に犯されていると言い換えても間違いではないだろう。

それくらいインターネットは自意識を揺さぶっていることに気づいていない人も多いと思う。自分も全く例外ではなく、その一人でもあるかもしれない。

コロナウイルスは自分自身にそんなことを教えてくれた。

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