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感情を描きたいのなら、仕草をマスターせよ。
「仕草」は、気持ちを表現する技術の一つだ。
緊張や恐怖の状態では「身体が震える」「手に力が籠もる」とか。
「手に力が籠もる」という点では、気合が入っている時もそうだ。
「仕草」は、キャラクターの感情を行動で示している。
また仕草には「癖」という一面もあり、
キャラクターの性格や雰囲気をも作り出すことが出来る。
そんな仕草を描く際に、
考えておくべき重要なことは1つ。
「感情を直接書かないこと」だ。
感情と仕草は“同義語”だ。
感情を直接書いてはいけない理由、その1。
仕草を描く際に、感情を直接書いてしまうと……
「“楽しい”から彼女の“頬はニマニマと緩んでいる”」。
というように意味が二重になってしまうから。
絶対に駄目ということではないけれど、
「頭が頭痛」「ホラーに恐怖する」みたいな感じだ。
何だか少し頭が悪く思えてしまう。
しかし重複させることはその言葉を意識させる、記憶させる方法でもある。
覚える為に漢字ドリルで何度も書くと同じようなもの。
そういった点において「反復」は強い技術なのだが、
コロコロと変化するべきである感情には不向きだ。
感情は、論理で描けない。
重複以外にも、もう一つ理由がある。
こっちが今日の本題だ。
感情を直接書いてはいけない理由、その2。
「直接的な感情は納得させにくい」から。
直接的な感情というのは「楽しい」だとか「辛い」だとか、
そのまま感情を表す言葉を書くということ。
それに対して仕草は「間接的に感情を描く技術」だ。
人は仕草を見るだけで、ある程度相手の感情を推察することが出来る。
家族や友達が不機嫌であったり、楽しそうであったり、緊張していたり。
見るだけでその感情が分かることは多々ある。
そういった経験がある人は多いのではないだろうか。
そんな風に、仕草は間接的に感情を伝えることが出来る。
直接的に「楽しい」「悲しい」という言葉と書けば簡単だ。
だがそれでは感情を描いているのではなく、感情を説明してしまっている。
元々、感情とは論理から掛け離れた存在。
論理で説明してしまえば感情ではなくなってしまう、と言える程に。
「こうで、こうなって、こうだから、私は楽しい!」とか、
日常で感情のことを建設的に考える機会はほとんどないんだ。
(作家は感情を描く為に考える必要がある訳だが……)
喜びを表現するなら、
「彼女の頬はニマニマと緩んでいる」
これだけでも意味は充分に伝わる。
「楽しいから」とか「喜んでいるから」とか書いちゃうと、
説明してしまっている感が生まれてしまう。
何事も直接描いてしまえば、
読者に「想像する隙」を与えることが出来なくなってしまうんだ。
論理ではなく感情を与える為に。
文字からその情景やキャラクターを想像させる為にも。
間接的・抽象的な描写である「仕草」で描くことは重要なのだ。
最後に「癖」について。
また、仕草を描く方法の一つに「癖」がある。
「氷菓」の主人公である折木は、思考する度に“前髪を指でつまむ”。
最初は疑問や違和感があるかもしれない。
だってほとんどの人は考え事をする時に前髪をつまんだりしないんだから。
(いやまあ何かカッコいいから私は憧れたが)
でも何度も何度も同じ仕草を繰り返すことにより、
それは「癖」となって自然なものだと認識される。
むしろ「それがなければ不自然だ」とすら思えるものになるだろう。
最初に言った「反復」だ。
キャラクターの「癖」として何度も描くだけで、
どれだけ不自然なものも自然となる。
こっちは感情だ何だというよりも、
キャラクター性の強化という面で心強い技術だと思う。
仕草は時として、キャラクターそのものを表すことにも繋がるのだ。
今日はそんな感じで終わり。
仕草の意味をしっかり考えて、より良い作品を生み出そう。
……あ、最後のは自分に向けてのエールだから気にしないでくれ。
ではまた会いましょう。
グッドラック。
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