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マーケティングから考える、興味と理解。
説明は、理解のためにある。
物語を書く時。
それに対する説明は必要不可欠と言ってもいい。
「見れば分かるだろ」と思うことも多々あるが、
補足説明がないと人は受け入れてくれないものだ。
それは何故か。
人は「自分が理解できないものを嫌うから」だ。
あなたも感じたことがあるのではないだろうか。
「それが何か分からないから、興味が沸かない」
「相手がどんな人なのか分からないから、話しかけづらい」
「登場人物の考えが見えないから、共感が出来ない」
とかとか。
まあ、理解した上で嫌うことも多いが。
私もよくある。まあまある。
でも今日の話はその前の段階だ。
まず理解できなきゃ好きになれない。
自分が好きなものなのかを知らなければならないのだ。
だからシナリオや小説においても。
人が好き嫌いを判断できるような情報を与えてやる必要がある。
だがもう一つ大切なこともある。
それは……
「説明」って嫌いな人が多いんだ。
興味は、説明のためにある。
「説明」に対して苦手意識を持っている人は多いはずだ。
まあ義務教育のせいなんだけど。
授業が好き、という人はあまり多くない。
それに商品の取扱説明書もその多くは読まれない。
通常時においてユーザーが必要としない情報が多いからだ。
大体問題が起こってから読むよね。
まあ読んでもよく分かんないんだけどさ。
という感じで、必要に駆られなければ説明を読もうと思いづらい。
つまりは「興味」がなければ読まれない。
逆に言えば、
「興味」を持ってたら授業とか説明とか普通に好きと思えるのだ。
好きな科目とか、好きなゲームの説明書とか。
授業自体が好きではなくとも、
教師が好きなら説明も苦じゃなくなるだろう。
だがさっきこう言った。
「好き嫌いを判断させるため」に説明をする。
これは興味を持つ前の段階な訳だ。
しかし。
説明を聞かせるには「興味を持ってもらう」必要がある。
こっちは興味を持った後の段階だ。
つまり「鶏が先か、卵が先か」みたいになっちゃうのだ。
じゃあどう考えればいいのか。
一歩目で「抽象的な興味」を惹き出すことだ。
感覚的な理解から、興味を作れ。
「抽象的な興味」とは考える必要もなく「好き」だということ。
感覚的とも言い換えられるかもしれない。
つまりは理由を深く考えずとも好きであると言えることだ。
RPGゲームと聞くだけで知りたくなったり、
恋愛小説なら面白そうと興味を持ったり。
花の匂いが良い香りだと感じたり、
ミルクチョコレートと聞くだけで食べたいと思ったり。
あと男性にとっちゃ綺麗で可愛い女とか、女性にとってのイケメンとか。
目で、耳で、肌で、鼻で、舌で。
何も考えずとも好きだと感じられるものがあるはず。
こういったものは世の中に沢山ある。
というか一々物事に対して「なぜ好きなのか」を考えたりしないもんだ。
だからこその抽象的。
まあ、これらは「既に考えられた好き嫌い」だと私は考えている。
もう自分の中で判断が付いているから、もう一度考える必要がない。
だからそれに当てはまるものには簡単に興味を持てる、ということだから。
抽象的な興味を惹き出すことが出来れば、
次は説明のターンだ。
「これは百合作品です!」
と興味を持たせて……
「女の子たちが田舎でのんびりと過ごします!」
と中身の説明をする。
そんな感じだ。
この場合は作品外の話だが、
作品内でもこういったことをしていかなければならない。
一つの話題、台詞、地の文……そんな要素の中でも考えていく。
「美少女と曲がり角でぶつかる」(美少女という抽象的興味)
↓
「学校で再会、美少女がどんな人が知っていく」(説明)
こう考えていけば説明的とも説明不足とも取られなくなる。
上記のパターンは既に使われすぎたので、その前に飽きられるがね。
まあ、自分もまだこの考え方を考えきれてはいない。
作れば作る程に変わっていくだろう。
変わることは恐れない。
だが考えていることが今の自分は正しいのだと信じること。
信じなきゃ、その真偽を確かめることすら出来ないんだから。
私はそうやって前に進むよ。
だからまあ、参考くらいに考えてくれ。
また会おう。
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