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僕のこれからやっていくこと

どうも、こんにちは。
赤城遼太です。ここに戻ってくるのもなんだか久しぶり。


前まで日記のように毎日ここで文章を綴ったりしていたのに、もう10ヶ月も前のことだったなんて思うと今年の1年は色々詰めて生きてきたなと確信する。

2022はあっというま。


僕の1年間はこうだ。

やりたいことを探した。
やりたいと思ったことは全部行動にしてみた。
それでもやり続けたいと思ったものだけ残してみた。
やり続けたいものがどんどん深くなっているのを感じた。



だけど、自分のキャパを超えた時に、やり続けたいものが複数あっても、
それらを全てやり通すことは難しい。それならば、プレーヤーではなく指導したり、依頼する方はどうか。

それでも、ダメだった。
というのも、自分という生き物はあくまでプレーヤーが大前提らしい。


たくさんの時間をかけて、たくさんの人と出会って、その人たちの深い話・想いを聞いていく。自分達の想いも追加で乗せて、みんなでイベントを実現していく。みんな同じ想いを掲げている。
だから、初対面でも仲良くなれるし、仕事につながる。

そんなこんなで、やり続けたくても、自分のこれから、今やりたいことに
忠実になった結果、長くやってきていたものも、
憧れて入った場所も全部辞めた。

残ったのは、
いつまでもプレーヤーでいさせてくれる場所
僕の考えを聞いてくれて、応援やサポートをしてくれる安心できる場所
深い話をしながら直接的に想いをぶつけ合える場所

今、自分が書いてみても納得できる環境だ。
特に、ここの環境によって新しくやってみたいことを考え出せたと言っても嘘ではない。


2022もあと1ヶ月。
何ができるのかより、何をやっていきたいか。
何を目指して、どう行動するのか。
今までのことを整理して、次の行動を考える期間。

とりあえず、やっていくことは見つかった。
たとえ、仕事に繋がらなくてもいいんだ。



今までこれは仕事につながるのか。
自分の成長のためになるのか。人生的に得するかとか
なんか結果とメリットだけ追い求めて、生きてたなって思う。

何が言いたいかというと、今までの人生を生きてきて思ったことは、
泥水をすすって、何事も基礎→実践あるのみで、失敗もどんとこい。
それが人生ってこと。


最短ルートで駆け抜けていくことも1つの人生の生き方かもしれない。
だけど、自分は遠くに寄り道して、見かけた喫茶店でお茶して、近所の知り合いと長時間公園で話して、帰ったら家族とご飯を食べたり、ことばを交わす。そんな人生でもいいんだろうなと気づけたから。

だから、人がどう生きるか、なんてことは気にしないことを選んだ。
そこからは簡単で、自分の生きたい人生を生きることが真っ当な人生で。

社会のレールに沿うことがなくても、
人にこっちの方が安泰だと言われても、多分もう戻れないんだ。
今の自分が、今までで1番好きだから。

曲げないし、比較しないし、諦めない。
就職とかフリーランスとかあるけど、そこは可能性は捨てないけど、
やりたいことを捨てたりしない。
その時に自分がいいなと思った道を選ぶだけだ。

実際、今の世の中で大学卒業して就職できなかったら人生おしまいだなんていう人もいるけど、地方にだって、都会にだって結局みんな、自身の人生をしっかり生きているよ。

19の自分が語れることじゃないけど、この1年間で飛び出して、
いろんな視点の人を見つけてきた。

それぞれの環境下で生きてきて、
苦労や困難も乗り越えてきて、

現状も親と揉めてずっと気まずいなんていう人もいれば、
地方に移住して健康になった人もいて、
大学生で古民家カフェを始めて、街の人と交流する人もいれば、
1人で自分の作る作品や世界観にのめり込んでるクリエイターもいて、

だけど結局、今の自分が好きだからなんて笑顔で言える人がほとんどで、
今の自分の人生を誇っていた。

そんな人たちを見てきたから、自分も自分を誇れる人になりたい。
みんな違って、みんないい。」っていう言葉や
十人十色」という四字熟語を今までだったらお決まりなことだなぁ〜

なんて、馬鹿にしてたこともあったはずだけど、身に染みて感じるな。

仮に、気が合わない人がいても、文句を言って喧嘩になるというよりは、
こういう人もいるもんなんだな、くらいでその人の考えを尊重するようになった。(勿論、間違っている時は発言はしてみる)

話が長くなったけど、これは僕の2022の振り返り。
本題はここからだ。僕のやりたいこと、それは。




手紙×ドキュメンタリー を始める。


まず、この2つを選んだのは明確な理由があるが、
その前に手紙が現代でなぜ自分が惹かれていることを少しだけ書く。

なぜ手紙?

手紙は、誰かもしくは自分に伝えたいことや気づいたこと、
届けたいことを素直に自由に書いていいものだ。

勿論、会社やお店に手紙を書く礼儀的なものもあるが、僕の中での「手紙」はそこを考えない。

あるのは、素直な気持ちと1つのコミュニケーションツールってことだけ。
自分は家庭上、父と話すことは最近になってやっと増えてきたが、まだまだ少ない。というのも、お互いが忙しかったり、反抗期が長かったりしたからだ。その時でも、つながっていたものが手紙

それが、父親との限りなく近くで話したようになれるコミュニケーションツールだったのかもしれない。今となっては当たり前だけど。
LINEでやれば良いことだよね。
だけど、今では、え!?って感じだけど親はLINEを使わないんだ。
ましてやZOOMの画面共有の仕方もわからない。

そのくらい機械に疎いんだよね(笑)
その中で、手紙を使ってきたことはすごい嬉しかったし、父の言葉に対する熱量や好きが溢れていること感動したんだ。コピーライターって職業だけじゃなくて、手紙に関してもいつも真面目で。家族だけど手紙の中ではお互い素っ裸みたいな感じで話してる。個室サウナみたいな場所にいる感覚。

サウナに入れなくても、手紙でいろいろ熱くなれるよね。

また、10歳の頃にもらった20歳まで約束の手紙(10歳だから10個の父と息子の約束事らしい)が影響していて、自分の人生で手紙がなかったことなどないと思う。もし、手紙がなかったら、こんな文章を綴ることも、今の自分にも出会えなかったと思う。

親の方針がここで良いものだと気づいた。
ありがとう。

一応、20歳までの手紙ということで、20歳になると手紙のやり取りは一旦ストップする。理由としては自立していくため。

今となっては成人は18歳に引き下げになったが、僕と父の中では20のままだ。そんなこんなで10年間ほどかわしてきた手紙をいきなりスパンと終わらせるのも何かもったいないと思って、今年はたくさんの人に手紙を書いた。

僕の中では特別な手紙という伝え方。
手紙という1種のコミュニケーションツールを使ってさ、
たまには大切な人や自分に向けて、素直な気持ちを届けてみようよ。

それは、僕だけでなく僕の文章を見て、
興味を持って手に取ってくれる人。

手紙だけがコミュニケーションのひとつじゃないけど、
僕の感じる手紙の価値に、少しでも良いなって思ってくれる人がいたら、
いつか、イベントで会ってみたいな。

ドキュメンタリー?

そう、ドキュメンタリー。
情熱大陸」や「プロフェッショナル仕事の流儀」が好きな僕。
実はドキュメンタリーって人の数だけあって、コミュニケーションを取ったり、深掘りすることでその人のドキュメンタリーを聞くことができる。

その良さに触れて、気づいて、感じて。 
だけど、ドキュメンタリーを見るよりも、
自分が人と交流して話を聞いていくドキュメンタリーの方が何倍も
もっと面白いと思ったんだ。

人の真面目が好きな僕。
お笑い<ドキュメンタリーを取る。

ドキュメンタリーの中で笑顔にできたら、それはそれで良いこと。
ドキュメンタリーで相手を知っていく、社会を知っていくことが、
今の自分にとっては新しい経験で、知識を得ることが素敵なことで。

人の人生を聞いて疑似体験してる感覚。

決してその時のあなたの気持ちに直面できることではないけど、
想像したり、感じることはできる。

それでも、前に進むあなたは、そう頑張った。
それに、素敵だね。

手紙×ドキュメンタリー。そこから生まれるのは「人生と気持ち。」

ドキュメンタリーは、人を知るいい機会になる。
手紙を書くことで相手や自分への気持ちを整理したりできる分、ドキュメンタリーでその本質や大切にしたい気持ちの真実がわかることって大切なことだと思ってる。

その気持ちや考えを残すこと。
僕やあなたの大事にしたいことを届けるためのアイディア。

勿論、誰にも訊かれたくない、知られたくないと言われたら、何もできないけど。僕の人生のゴールにも少しずつ進めていくための第1歩だ。

また書きたくなったら深く書かせてほしい。
それまでは待っててね。


最後まで読んでくれてありがとうね。
次回は自分が手紙×ドキュメンタリーを選んだきっかけになったものの紹介をしていくね。そう、ここから僕のアイディアは生まれたんだ。
また、人生のゴールについてもまた執筆するから。

それじゃ、またどこかで会えたら。


2022/11/28 4:40
執筆:赤城遼太





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