慶長16年(1611)6月4日は徳川軍を二度も翻弄した真田昌幸が九度山で65歳で死去した日。武田信玄に近習として仕え薫陶を受けた昌幸は信玄に我が眼と言われるほど重宝された。武田家が滅んだ後は徳川・北条・上杉といった大国に挟まれ仕えては離反することを繰り返し表裏比興の者と評された。
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