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これからのコミュニティは自律分散的になっていくのではないかという仮説

これからのコミュニティはSharedの資産になっていくべき

前回、「ずっと感じていたコミュニティについての課題」というタイトルで『果たして企業はコミュニティを自分だけの資産に留めておくべきなのか』という問題提起をしました。

企業や地域、NPOなど、コミュニティに所属するメンバーの“価値観”や“関与したいタイミング”は人それぞれなので、企業も人ももっとゆるやかに参加できる方法がないものかと考察してきました。

今回は、これからも社会に欠かせないコミュニティというものが、社会のインフラとして改めて浸透していくなかでどうあるべきなのかということについて書いてみたいと思います。

僕はコミュニティが、より自然に発展していくためには、企業や団体の固有資産(Owned)にとどまらず、共有資産(Shared)になっていくべきだと考えています。

一見、企業はコミュニティを固有資産と捉え、コミュニティメンバーを自分たちだけで独占した方が利益が増えそうに思えます。

しかし、前回のnoteでご紹介した“ぬか床から考察するコミュニティのあり方”にもあったとおり、コミュニティをとにかく拡大し、そのなかでメンバー全員に同じ行動を促す行為は、むしろコミュニティを腐敗させる要因にもなりかねません。
コミュニティという器のなかで、メンバーが自由に入れ替わり、コミュニティのフェーズ(ぬか床でいう“発酵状態”)によって、異なるメンバーがそれぞれのやり方で貢献をしていく方が、コミュニティを活性化させると思っています。

そう考えると、コミュニティを自分たちの固有資産と捉えるのではなく共有資産と捉えて、いろんなコミュニティを人が行ったり来たりできる環境を整えていく方が価値のある場になっていくのではないでしょうか。

また、コミュニティに集まるファンの関心はさまざまです。メンバーの関心が異なるだけでなく、関わりたいと感じる気持ちも時間を経て変化していくものです。
むしろそのように多様で、常に変化する方が自然だと考えると、コミュニティは変化する人の感情に合わせて、多様なメンバーを受け入れる器になっていくべきです。

場づくりにおいて不可欠になる「価値観」のすり合わせ

では、固有資産としてのコミュニティに留まらず、ファンの多様な関心に寄り添ったコミュニティをつくっていくためには何が必要なのでしょうか。

僕はそこには2つの必須条件があると思っています。

コミュニティの大前提は、ブランドが実現したいビジョンがあることです。そのコミュニティの主催者が「何を目指そうとしているか」「何を実現したいのか」をその場に関わる人たちにハッキリと伝えられることが重要です。集まることだけが目的のコミュニティもあると思いますが、何かを成し遂げるために目的を持って集うコミュニティの場合、そのビジョンこそが人を惹きつける理由になります。

コミュニティに限らず、事業でも魅力的なビジョンを掲げられているかどうかが、人を惹きつけ、共感を生むかどうかを決めています。
ただ、ここで気をつけたいのは、ビジョンに共感しているからというだけで、コミュニティの場がうまくいくかというと、そうとは限らないということです。

では、ビジョンへの共感に加えて、コミュニティが有機的に機能する要件とは何なのでしょうか。

僕は集う人同士の「価値観」のすり合わせが不可欠だと考えています。

先日、辻愛沙子さんのPR Table Communityの記事を読んで唸ったのですが、特に「日本のコミュニケーションに足りないのは、“understand”と“agree”の違い」という章がとても興味深かったです。

共感の「中身」について、もっと考える必要があると感じています。私が伝えたいのは、共感でも“agree”と“understand”は明確に違うことです。(中略)お客さんと企業の関係も同じです。複合的な面があって当然ですし、必ずしも“agree”できなくても、文脈を見れば“understand”できることはある。私は「みんな違って、みんないい」という言葉があんまり好きじゃないんです。なぜなら、「いい」という時点で、そこに“agree”という評価軸があるから。「みんな違うよね」「そりゃそうだ」とドライなくらいがいいなって。
このお話をコミュニティの場に応用して考えると、何かの目的に向かって動くコミュニティの場合、メンバー同士が”understand”ではなく”agree”の状態ですり合っている必要があると思います。

同じ空間を共有する人と人との関係について、ものすごく明確に言語化されていると思います。

これまでの経験上、コミュニティで共感し合っているファンをみていると、多くの場合その根本には似た価値観を持っているケースが多いように感じます。

商品そのものが好きということに変わりはないのですが、なぜその商品を好きになったのかを考察していくと、生活の中で大事にしていることだったり、育ってきた環境や文化だったり、そもそも趣味が似ている傾向があります。

さらに、ファン同士の価値観が似ているだけでなく、熱狂的なファンであるほど、その企業(ブランド)の社員と近い価値観を持っていることが往々にしてあります。

コミュニティづくりで大切なのは、商品の機能や利便性、ブランドの世界観などに共感するファンがいることだけでなく、コミュニティが掲げるビジョンと、そこに集う人たちが持っている価値観がすり合わせているかだと思います。

場をコーディネートするために考えたい「関与度」と「文脈」

これからの社会で、より有機的なコミュニティをひとつでも多くつくっていくためには、このゆるやかな価値観のつながりのなかで「場」がコーディネートされていくことが求められるでしょう。

そのような場づくりができないと、先ほどご紹介したとおり”agree”と”understand”を混同してしまい、「なぜあの人はコミュニティのなかで私と同じように振る舞わないのか」といった不満を生み出してしまうことになりかねません。
コミュニティが過疎化したり、規模が大きくなるにつれてうまく盛り上がらなくなってしまうことには、お互いの持つ価値観を認め合えなくなってしまうことが背景にあると考えられます。

こういった場をコーディネートするために、僕は『関与度』と『文脈』という考え方が大切だと思っています。『関与度』とは、企業(ブランド)に対してどれぐらい深い関わりを持ちたいと思っているか。『文脈』とはその企業(ブランド)に対してどんな側面で関心を抱いているかです。

ランニングシューズを提供するスポーツメーカーを例に考えてみましょう。
ランニングシューズという商品をひとつとっても、そこにまつわる『関与度』と『文脈』ははさまざまです。

シューズの商品そのものに関心がある人もいれば、ボディメイクに関心のある人、またはランニングを通して仲間と出会ったり一緒に走ったりすることに関心のある人もいます。

『関与度』と『文脈』を軸に、ランニングシューズに対する関心を図式化してみると以下のようなイメージです。

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その商品に対してどのような角度で関心を抱いているかが『文脈』です。また、その文脈における関心の高さが『関与度』です。この図のそれぞれのマスが、人が抱いている関心の単位と言っていいと思います。

コミュニティをはじめとした人が集まる「場」においては、いかにこの『関与度』と『文脈』を軸に、集まる人の関心を設計できるかが重要になります。その場に関わる人たちの関心がズレてしまうと、その場は急に発展しづらくなってしまうからです。

先日、「ファンイベントを設計するために『最高の集い方』は何度も読み返したい良書」というタイトルで、『最高の集い方――記憶に残る体験をデザインする』の書評を書かせていただきました。この本にも出てくる通り、イベントに「誰を呼ぶか」ではなく、むしろ「誰を呼ばないか」を定義することによって、そのイベントが何を達成しようといているかを強く伝えることができます。

場の関心を多様に設計できるコミュニティこそ、これからの新たなコミュニティの在り方を示してくれると思うのです。ひとつのブランドにおいて、この『関与度』と『文脈』の多様性をどうつくれるか。それが、人の活動がソーシャル化したいま求められている在り方だと思います。

これからはひとつの企業や地域においても、そこに関わる人たちの価値観に沿って形成された場がコミュニティとして分散的に増えていくと考えられます。そのなかで、関わるファンがより自律的に活動できるコミュニティが発展していくでしょう。

こうしたなかで、僕たちが社会のなかで担う役割は、有機的なコミュニティをひとつでも多くコーディネートしていくことです。
新たな価値を提供できる場を、これからも社会につくっていきたいと思っています。

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