ずっと感じていたコミュニティについての課題
今、さまざまな場面でコミュニティの価値が発揮されはじめています。地域の活動を支えたり、事業を成長させたり、チームの推進力を高めたりするうえで、コミュニティは社会のなかで欠かせない存在です。
僕はこれまで、主に企業のファンを対象としたコミュニティづくりを支援してきました。コミュニティの価値を感じたこともあれば、なかなかうまくいかなかったこともあります。今回は、そのなかで感じた「コミュニティの課題」についてご紹介します。
コミュニティ運営で必ずぶつかる壁
コミュニティを運営するうえで、難しいポイントはいくつかありますが、なかでも以下の2つはコミュニティ運用において最も難しいポイントだと痛感しています。
1:コミュニティメンバー全員の熱量を上げようとしてしまうこと
2:特定のファンに固執しすぎてしまうこと
この2つには、それぞれこんな背景があります。
1:コミュニティメンバー全員の熱量を上げようとしてしまうこと
コミュニティには、さまざまな人が集まります。地域の関係者や企業のファンなど、どのようなコミュニティでも関わる全員の熱量を一度に高めることは至難の業です。コミュニティを運用している人にとっては当たり前かもしれませんが、コミュニティメンバー全員を一度に巻き込むのではなく、はじめは少人数でもいいので深く関わってくれる人を時間をかけて増やしていくことが重要です。
2:特定のファンに固執しすぎてしまう
イベントなどを通じて深く関わってくれたメンバーが、ずっと同じ深さで関与しつづけてくれるとは限りません。逆に、深く関わってくれた人にずっと同じ関わり方を求めたり、もっと関わりたい人がいるのに古参のメンバーを優遇してしまうことで両者に不協和音が生じることもあります。
いくつものコミュニティを支援してきたなかで強く感じるのは、「コミュニティに集まるファン一人ひとりの熱量は均一ではない」ということです。人によって、「いっしょにその製品の未来を考えたい」という強い思いを持ってきている人もいれば、「ちょっと気になったから行ってみようかな」と思って参加する人もいます。
また、ひとりのファンのなかでも感情の波が存在します。一年前は特に関心のなかったことに対して何かのきっかけで興味を持ったり、逆に執着していたものでも時間が経つと徐々に関心が薄れたりもします。
人が24時間で浴びる情報量は予想できないぐらい増えているので、これも当たり前かもしれません。生活にリズムがあるように、ブランドと人とのかかわりは常に不安定で変化するということを前提にコミュニティを捉えていくことが不可欠です。
企業もNPOも地域の活動も、そのような前提に立ってコミュニティを推進していかなければいけない。これはコミュニティマネージャーが心に留めておかなければいけない大切な原則であり、人が何かの活動に「関わる」というのは、その人のそのときの感情によるところが大きいということです。
コミュニティにはさまざまな関与が「同居」している
企業とファンの対話を考えた場合、コミュニティはその企業が単独で運用するのが最も効果的に思われるかもしれませんが、先ほども書いたとおり、コミュニティのメンバー熱量は均一ではありません。それなのに、多くのコミュニティはコミュニティメンバーに対して同一の関与を求めているのが現状です。
メンバーにはさまざまな関わり方があって、それぞれのメンバーの関与度も時間が経つにつれ変化していく。そのような状況のなかで、ひとつのコミュニティのなかでメンバー全員に同じ関与を求め続けるのは難しいのではないでしょうか。
いま、感じていること
多くの生活者が何かしらのコミュニティに参加したり、かかわったりすることが珍しくなくなった今、コミュニティという場の熱量を継続的に高めながらも、一人ひとりがもっと関わりやすくなるためにはどうすればいいか。コミュニティを支援すればするほど、そう考えるようになりました。
「コミュニティはもっと緩やかで、人の関わり方も感情も流動的であってもいいのではないか。」
コミュニティの支援をすればするほど、そんな思いが強くなってきました。
コミュニティは企業や団体が所有し、運営されているものがほとんどですが、企業や団体が誰かを囲い込もうとしたところで、うまくいくことはほとんどありません。コミュニティそのものが企業や団体にとっての長期的な資産になることは間違いありませんが、人の関わり方も感情も一定のまま永続的に続くものという前提で設計されたコミュニティは、残念ながらまるで放置された森林のように腐敗してしまうことがあります。
森林はそのタイプによって手入れの方法が異なるそうです。これはコミュニティにもいえることなのではないでしょうか。コミュニティもフェーズと実現したいことによって人の関わり方は変わってきます。コミュニティの成功法則が必ずしも一定ではない理由はそこにあると思うのです。
微生物から学ぶコミュニティのあり方
少し話は変わりますが、2019年8月からはじまったNewsPicksとSpotifyの音声番組「Future Talk by NewsPicks」の『#001 ぬか床と人間社会の不思議な関係』で、コミュニティとぬか床から人間関係を考察する内容がありました。とても興味深かったので、一部をご紹介します。
(良いぬか床をつくっていくためには、ぬか床のなかに住み着いている良い菌を残し、悪い菌を排除し続けて行けばよいぬか床ができるのではないかという仮説に対して)
ぬか床をやっていてディープだなって思ったのは、悪いやつらを排除していいやつらだけで構成したら美味しいぬか床ができるだろうと思うじゃないですか。
ぬか床には成長過程があってだいたい3つのフェーズに分かれるんですね。最初に開始したときというのは醗酵が進んでいなくて、いわゆる塩漬けみたいな状態なんですよね。そのなかに野菜を入れると塩が効いているので腐敗しない。つまり冷蔵庫に入れているような状態ですよね。
醗酵もしないが腐りもしない。そのときっていうのはあまり菌というかユーザーというのはいなくて動かないんだけど、その次に悪いやつが排除されて乳酸菌が増えていった状態にするんだけども、つまり悪い、不適切な人がいない状態というのがある。
実はそれはぬか床ではなくて、いわゆるピクルスみたいな状態だと。ピクルスとぬか床がどう違うかというと、ピクルスというのは美味しいんだけども味が複雑じゃないんですね。それはそれで美味しいんだけど、それ以上深まりもしないし変化もしない。それは実はぬか漬けじゃないんです。
そこから、そのふたつめのピクルス状態から次がまさにぬか漬け状態で、そこにいくと何が起こるかというと、一回絶滅したはずの不良が戻ってくるんです。ある程度の不良が必要なんです。だからそいつらがのさばり続けるとぬか床コミュニティ全体が崩壊してしまうんだけど、ある程度のバランスにいないと、おいしさや独自の風味が生まれないということが分かってきて、もしかしたらオンラインコミュニティもあまりにも画一的なというか、いい子ちゃんすぎるユーザーばかりで均質的だとよくないのではないかということがあって深いんですよね。
出典:Future Talk by NewsPicks
#001 ドミニク・チェン「ぬか床と人間社会の不思議な関係」
ぬか床にいる構成員がそのなかで変化しながら、少しずつ全体で「おいしい」という味覚をつくりだしているというこのエピソードは、コミュニティにとって「いい子」と「不良」の定義は何なのかということを考えるきっかけを与えてくれています。
良いコメントをしてくれてアクティブな人を「いい子」だと定義して、「いい子」だけをコミュニティに残すと、均一なコミュニティができあがってしまいます。それは結果的に、良いコミュニティづくりに結びつかないことがあります。
人には得意なことと不得意なことがあります。複数のユーザーで構成されるコミュニティも同様に、コミュニティの状態ややりたいことによって力を発揮するコミュニティメンバーは変わっていく前提でコミュニティの全体最適を考えていく必要がありそうです。
「場の熱量」と「人の熱量」
つまり、ここで重要なのはコミュニティという「場の熱量」とそこに関わる「人の熱量」を分けて考えていく必要があるのではないかということです。
人が集まる場そのものをコミュニティと捉えると、コミュニティ自体の熱量は継続的に高めていく必要があります。ただ一方でそこに関わる人は常に一定ではなく、ゆるやかに入れ替わりながら活動を支えていくということが良質なコミュニティをつくっていくために必要なのではないでしょうか。
僕たちは、ブランドに対して熱狂している"熱狂顧客"という存在がブランドの未来をつくるうえで重要な役割を担うと考えていますが、永続的に熱狂顧客でいる人もいれば、自分の気の赴くままに好きなタイミングで深く関わりたいというタイプも存在します。同じ熱狂顧客でもコミュニティのなかで発揮される価値やタイミングはさまざまです。
このようなコミュニティの在り方を考えていくなかで、今、僕が感じている問題意識は、「果たして企業はコミュニティを自分だけの資産に留めておくべきなのか」ということです。
なぜなら、コミュニティメンバーの価値観や関与したいと思うタイミングは人それぞれだからです。そのような環境のなかで、企業が旗を振り一斉に同じ行動をとってもらおうとすることは難しく、むしろメンバーが関わりたいタイミングで関われるような環境をつくることが、ファンと対話を深めていくうえで企業に求められていることなのではないでしょうか。
コミュニティを企業の資産として留めるのではなく、企業も人ももっと緩やかに関われるものを、これからも考えていきたいと思っています。
そして、このテーマを乗り越え、社会にひとつでも多くの“有機的な”コミュニティをつくっていくために、僕たちができることはまだまだ多くあるのではないか、そんな思いを強く持っています。
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