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敢えて「少子高齢化」を受け入れる?

「少子高齢化」が危惧されるようになってもう何年もたつ。そして予想通り確実に少子高齢化は進んでいる。あらゆる方面で、何とか少子高齢化を食い止めようと対策がとられているようだが、目に見える結果は正直なところ出ていないように感じる。

どうすれば「少子高齢化」を食い止められるのか。

そんな中、ある面白い記事を見つけた。少し前の記事なのだが、R25のインタビューでキングコングの西野亮廣さんがインタビューに答えている記事だ。

「少子高齢化対策」をやめちゃえばいい

見出しを見るだけで「え?」となる、虚を突かれた感じだった。

一見、少子高齢化という課題に対して、「負け」を認めるようだが西野さんは先を見据えた上での提言だった。

「少子高齢化って、たぶんほっといても世界中の先進国が今後ぶち当たるわけでしょ? だったら、その最先端を走ってる日本が「こうやれば高齢者が多くても回せるわ」っていうビジネスモデルを作って、そのパッケージを海外に売ればよくないですか?」

つまり、”老人先進国”のモデル国家を目指せばいい、ということだ。

記事には、さらにそのためにどうすればいいか詳しく書かれている。

単純にこれが絶対に正解か、というと「絶対」ではないかもしれない。しかし、この考え方は、あらゆる場面で転用できると考える。

一見「負」のイメージがある課題
➡それを逆転の発想でポジティブに捉える
➡ポジティブな課題に取り組んだ方が、取り組む側もやりがいが生まれる。

これは今の新型コロナウイルスへの取り組みにもつながる。
以前、日テレの情報番組でSHOWROOMの前田裕二さんが新型コロナウイルスの外出自粛に関して、コメンテーターとして出演していた時にこうおっしゃっていた。

「世界は法で取り締まって外出禁止にしている。ただ日本は法で禁止されているわけではない。これはむしろ、日本はわざわざ法で取り締まらなくても、自分たちで自粛してこの問題を解決した、と世界に発信できるチャンスだ」                     (一部、自己解釈を含む)

他とは、違う発想が必要なのかもしれない。

「戦略的に縮む選択」をとる

少子高齢化、人口減少社会に関連してもう一つ興味深い記事が「文藝春秋オピニオン 2020年の論点100」に書かれていた。

そこではジャーナリストの河合雅司さんがこう述べている。

「人口減少に伴う経済縮小を根本的に解決しようとすれば、子どもがたくさん生まれる社会を取り戻すしかない。だがそれが実現するにしても遥か遠い将来だ。現実的には経済が縮み始めることを前提として、日本の豊かさをどう維持しうるのかを考えなければならない」

「戦略的に縮む」ことで暫く凌ぎながら、将来世代に子どもがもっと生まれる国の復活を託していくということだ。

課題を克服しようと必死に抗うことも時には重要だ。ただ受け入れて戦うことも重要だ。難しいところだが、その判断というのをしっかりできるようにならなければいけないのかもしれない。


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