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だからどうしてる?

昨日こんな記事を書いた。

そして文末に「次回はじゃあ自分がどうしたか/どうしているかについて書きたい」みたいなことを意気揚々と書いてしまった。

書いたからには書きたい。

これは無知識・未経験、まさに空っぽの状態から社会人として障害福祉の世界に飛び込んだ私がもがきながらやっていたこと、やっていることをまとめていきたい。

「だからどうする?」というタイトルで昨日書いたから、アンサー記事として「だからどうした/どうしてる?」というタイトルで。

まず大前提として言うが、これが正解だとは思っていないし、当然だが自分はまだまだ足りない、足りない。まだまだ足りない。だから経験豊富な人や知識がある人からすれば「当たり前だ」と思われるかもしれないし、「間違っている」と思われるかもしれない。

だけど、いま試行錯誤しながらもなんとかやれている。

だから自分と同じような、まだ知らない福祉の世界にこれから飛び込む人や興味はあるけど手を出してみたいと思う学生等の不安に対し何かの参考、きっかけ、「大丈夫だよ」という声掛けになればと思っている。

不安を盾にしない

優しく包み込んだかと思えばいきなり突き放すが、「待っていても何も始まらない」ということは最初に念頭に置きたい。

まず意識したのが「不安を盾にしない」ということ。

昨日の記事でも書いたけど、私たちは自分たちの身だけを守るための言葉、行動なんか求められていない。

利用者さんたちは「この」場所を必要として来ているのに、いざそこで行った場所で「私無知識・未経験なんで許して」なんて言われたら。表現は大げさかもしれないけど、飲食店の世界に飛び込んだけど「私料理つくったことないんで自信ないです」と言われているようなもの。

言われた側は「は?」となる。それを踏まえてこの世界に飛び込んできたんでしょ、って。

不安を盾にするくらいなら、選ばなきゃいい。
不安があってもやりたい、なんとかしたい、力になりたい。そう思うのなら行動するしかない。

それくらいの自覚と責任を持つ必要がある。
そしてそれを行動で示す必要がある。

スタートが遅れている私たちが先を走っている人たちに追いつくためには、誰よりも考え行動し走り続けないといけない。

それでやっとスタートラインに立てるのだから。

「知る」に努める

じゃあどうやってスタートラインに立つのか。

何はともあれ、何も知らないのだからまずはある程度のことを知らないといけない。だからまずはめちゃくちゃにインプットをした。

最初にインターネットや本で障害特性について調べた。そもそも障害福祉って?というところから。

この障害にはこういった特性があって、こういった傾向がある。

なんか一言で表現してしまうとものすごい陳腐な感じがするけど、でもまずは「○○とは?」の基本情報を徹底的に調べた。

だけどこれって勉強と似ているもので、ネットや本といった第三者によってまとめられた情報だけを見ていてもそういった言葉や特性があることはわかっても、それがいったいどういったものなのか、

”リアル感”

というものがなかなかにイメージしづらい。イメージしないと自分の頭の中でつながらなくて、知識だけがふわふわしている感じだった。

そこで私はある程度インプットした知識を片手に日常の支援を行いながら、空いている時間を見つけてとにかく利用者さん一人一人の情報についてカルテ等を見ながらインプットを重ねた。

一種の「答え合わせ」の作業のようなものだ。

「今日のあの動きはなんだったんだろう?」
「あ、あの人はこういった障害特性がある方なんだ」

「あの人今日あの動きすごい得意そうにやっていたな」
「あ、こういったことが趣味なんだ!」

加えて先輩支援員の姿もめちゃくちゃ参考にした。

利用者さんとの距離感、言葉選び、一人一人への対応の仕方。見て学び、聞いて学び、真似て学ぶ。それを繰り返していた。

知識と経験が合致すると、一気に視界が開けてくる。

どっちかだけじゃダメで、どっちもが大切なんだと思う。どっちも身について初めて自信ってついてくる。

だけどここでもっと大切なことがある。

それは「知る」で満足しないことだ。

常識はあくまで「枠組み」だから

知識を自分の中に落とし込むことによってある程度の法則性は見えてくる。

それそのものの常識、当たり前、普通というものが見えてくる。ただここが非常に落とし穴。その常識等を知ったことで、すべてがわかったつもりになってはいけないのだ。

我々はついつい「正解」を焦って求める傾向がある。なぜならそれが確実だから。それが何を示すかと言うと、常識や普通というものを「点」で捉えて気がしまうんだ。

つまり1つの答えに縛られてしまう。その点から外れてしまったとき、慌ててしまう、といったところだろうか。


でもよく考えてみてほしい。

支援というのは「人対人」だ。似ている、はあったとしても全く同じなんてことはほとんどない。予定調和など存在しない。常識が覆されることだってある。

それが難しさでもあり、面白さでもある。

したがって臨機応変に対応できるだけの余白を常に持つ必要があるし、普通とは違うことに出会うことを面白がれる力が必要になってくる。

常識や普通、当たり前というのは「アンサー」ではなく、「ガイド」だ。全員に共通した「アンサー」なんてものはなく、「ガイド」を参考にしながら一人一人の「アンサー」を見つけていく。それが支援ではないかと23歳時点の自分は考えている。今後また変わるかもしれないが。


だから障害そのものの知識や一人一人の情報・特性という「ガイド」を片手に我々はいつもの支援の現場へと出ていくのだ。


最初の数か月はひたすらガイドを収集しながら、適宜現場で照らし合わせながら、徐々に「アンサー」を考えていった感じだ。

ポジションを決める

ここまでの話でご理解いただける通り、知識や情報のインプットだけでは相手にとっての本当に必要な支援って難しい。だけど無知識・未経験な私たちはその工程も忘れてはいけないが。

問題はじゃあ現場でどうやって関わっていくか。

ここが一番不安な部分だと思う。

”自分に何が出来るのか”

まず言ってしまおう。

何が出来るかというと、きっとほとんど何も出来ない。というか最初から何か出来ると思っている方が間違いだ。自分が出来ることはきっと他の先輩方は当たり前のように出来ている。そういうものだ。

自分が何かしてあげよう、と思うことが自分で自分の首を絞めている。

大事なのはポジション。
自分でも出来るポジション、自分だから出来るポジションをとるということ。

自分は距離の近さというポジションをとった。

それは支援員ー利用者と明確に分けるものではなく、かといって友達のような近さでもなく、一人一人の懐に入っていく感覚。

「こうした方がいいですよ」と提言は出来ないから一緒にやってみる。一緒に考える。一緒にご飯を食べる。一緒に、一緒に、一緒に。

とにかく「一緒に」を大切にした。

これが支援員としての正解か、というと違うかもしれない。でも自分でも出来ること、自分だから出来ることとして最初に見つけたポジションだった。

見えてくる変化がある

「一緒に」を大切にしていく中で、失敗してしまったことも多々ある。

思うような成果が出せなかったり、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったり。でもそんな時は周りの先輩の支援員がサポートをしてくれる。そして教えてくれる。何がダメだったのか、どうすればよかったのか。でも行動は評価してくれる。

そんな環境だったから、自分はのびのび出来ていた。そう思っている。


そうやって失敗を積み重ねながらも一緒に様々なことをやっていく中で「変化」が垣間見えるようになった。

今までサボりがちだった方が「一緒に」作業をしてくれるようになったり、今まで会話していなかった方が「一緒に」会話してくれるようになったり。

PDCAを回し続け、たどり着いたひとつのやりがい


最後に1つだけエピソードをご紹介したい。

これは私が最初に、支援をやっていて良かったと思った、これがやりがいだ、と感じた瞬間について。

その方はあまり集中が長く続かない人だった。

細かい作業が苦手、ジッとしていることが苦手、疲れることが苦手。
集中が切れるとフラフラ歩き回る、他の方に話しかけに行く、座り込む、気づけば建物で休んでいる。

どうしたものか、と思った。

強制的にやらせるという手段があるかもしれないが、そんなのが長続きしないことは目に見えていた。それに「やらせる」ことはなんか違う気がする。

かといって放っておくのもおかしな話だ。

どうやったらあの人が輝けるのか。まずはそこから考えた。

まずジッとしていることは苦手なので体を動かす作業を与えた。
最初は張り切って取り組んでいた。だけど数分すると「疲れた」といってどこかへ行ってしまう。または仲の良い人に話しかけに行く。

「違ったか」

そこで今度は体を動かす作業という部分は変えず、一緒に作業するメンバーの数を減らした。すると以前よりも集中は長続きした。だけど最後まで続くことはなかった。

「惜しい」

今度は私と2人で作業をすることにした。そしてその方に自由を与えた。

「与えられた作業場の中でなら、自由に作業を選んでいいですよ」

と。最初は楽をしていた。いかに自分が楽を出来るか、そういった部分の思考能力は高い。見ててもはや愛おしくなった。2人での共同作業だから、その分私の負担は大きくなる。だけど特に何も言わなかった。むしろ楽しそうにやっている姿を見せた。そしてとにかく一緒に続けた。

すると、

「俺もそれやる」

突然その方はそう言いだした。だから任せた。

すると一生懸命汗をかきながら、それでも手を休めることなく作業を続けた。そしてお昼の時間を迎えた。だけどその時、ノルマまであと少し届いていなかった。あと5分あれば終わりそうなくらい。

「戻りますか?」

私はそう聞いた。いつものその方なら、そんなこと聞く前にもう戻っている。どんなことよりも「お昼ご飯」が優先順位の第一位だから。

だけどその日は違った。

「最後までやる」

そう言って、5分オーバーしたけどノルマをやり終えた。一仕事を終えて道具を片付けながら建物に戻っていく後ろ姿は元々大きな背中なのだが、さらに大きく見えた。

そしてこう言葉を発した。

「俺頑張ったでしょ!」

目をキラキラさせながらそう言っていた。こっちが「こうしてくれ」と指示するわけではなく、きっと自分で自分の新しい可能性に気づいた瞬間だったんだと思う。私は盛大にうなずいた。

そしてこのとき、「あぁー、その人が今まで気づいてなかった自分の可能性に気づくこと。これって支援のやりがいだな」そう強く思った。

いっぱいPDCAを回して、その人にとっての輝ける環境を見つけられてよかったと思った。

気づいたらまとまりのない4000字以上の記事になってしまった。

要は何が言いたかったかと言うと、

「無知識・未経験だとしても、
そこに想いと学びと行動と思考があれば全然問題ないよ」

ということ。

さらに言えば、「相手を知ろうとすること」「真摯に向き合うこと」さえ忘れなければ、自ずと知識はついてくるし、信頼関係も築けてくるということ。



ぜひぜひ私みたいな無知識・未経験の人でもこの世界に興味を持ってほしい。たとえその道を選ばなかったとしても、選択肢に入れてみてほしい。

不安だから、見えないから、何が出来るかわからないからという理由なら「大丈夫」とお伝えしたい。むしろ私たちみたいな立場の人間が入って、いろんな視点を入れていくことで、福祉の世界の「当たり前」はいい意味で変わっていくと思っている。

もし少しでも興味があるけど不安だという学生さんがいたらいつでも話を聞きます。気持ちは痛いほどわかるから。

正解がまだわからないから「こうした方がいい」とは伝えられないけど、「こういうことも出来るよ」ということは伝えられると思うので。私自身まだ道半ばなので。

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。


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