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会話とモノサシ
タイトルを見ただけで文章の内容が想像ついた人は天才だ。
基本的に何かしら意味合いのあるタイトル設定をするのだが、
今回はうまいこと収まりのいい言葉が浮かばず。
本記事のテーマになる単語2つをただ並べるかたちとなった。
最近Xにてこんな投稿をした。
「大変さ」とか「つらさ」の大きさなんて、大小を測れるものではありません。だからこそ会話が必要で。外から見える姿と、実際の抱えている思いって意外と違うものです。会話をしてお互いを知ることでグッと距離は縮まります。移行支援を利用されている方同士の会話を見て、日々それを感じています。
— 塩浦良太|言葉を紡ぐ支援員×広報 (@ryota_s006) March 25, 2024
私自身が就労支援という現場で働いていて、実際にそこで支援を受けているご利用者様方の姿を見て感じたことを綴ったもの。
私たちは自分自身のことはある程度のことを知っている(それでも知らないことがあるが)。自分はどんな性格で、どんな特徴があって、どんなことが得意/苦手か。
だけど自分以外の人に関して、特に初対面だったら全くわからない。せいぜいわかる情報としては外見から得られる情報のみだ。
1つ踏み込むと、例えば私が働く事業所は脳卒中になった方で、発症後安定してきて一般就職・復職を目指していこうとしている方が多い。脳卒中に伴う後遺症って様々だ。外側から見てわかるのは「身体麻痺」。片麻痺になる方が多い。
ただ脳卒中による後遺症の可能性って身体麻痺だけじゃない。それが「高次脳機能障害」。高次脳機能障害って例えば上手く言葉が話せなかったり聞き取れなかったりする失語症や、右(左)側の視野が狭くなっている(視野が狭くなっているのに気づかない)半側空間無視、また目線が移動することで認知にズレが生じるなどの注意機能の低下等。これらは外側からは見えてこない部分。
中には身体麻痺と高次脳機能障害を併発する方がいる一方で、身体麻痺はなく高次脳機能障害のみ発症する方もいる。後者の方は、何も知らない人がその方の動きを見ただけだったらいたって「普通」の人に見えるものだ。
1人の身体麻痺を持つ方が、ある高次脳機能障害のみ発症している方にこう投げかけた。
「○○さんは、どこに大変さがあるんですか?私には何も問題なさそうに見えて。。。私は身体に麻痺があって大変だなぁって」
すると質問された方は、
「私は失語症があるんです。しゃべりたいことはあるんだけど、上手く言葉が浮かばなくて・・・」
会話の内容は多少意訳もあるがそういった旨の話をされていた。
こういった会話を聞いて、会話はモノサシを増やす貴重な機会だなぁと感じた。自分が見えている世界ってあくまで自分中心のものであって。「大変さ」や「辛さ」って簡単に比較できるものではない
自分の大変さを押し付けるのは違うし、かといって「自分は我慢しなきゃ」なんて思う必要もなくて。それぞれにそれぞれの大変さ、辛さがある。ただそれは、お互いに話すことで知っていくことができる部分だと思う。
会話によってさまざまな人の「大変さ」「辛さ」「価値観」を知っていく、人それぞれのモノサシを集めていく。
それに、人に対して自分の考えを話すって自分のモノサシを磨く作業でもある。形としては存在していなかった、自分の頭の中にある考えを「自己表現」という意味で形にしていく、そうすることで”まだ知らなかった自分”に出会える可能性だってある。
人のモノサシを集めることが出来るし、自分のモノサシを磨くことだってできる。つまり会話は最強ってことだな、と。
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