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「ありたい」と「なりたい」の共存

昨日Twitterでこんな投稿をした。

「なりたい」と「ありたい」についてふと考えることがあったからだ。そんなこと考える「ふと」ってどんな時だよ、という気もするが。

あなたは理想の姿について語るときどう言葉にするだろうか。
「こうありたい」?「こうなりたい」?
そんな風に言及されたサイトを見つけた。

上記サイトによると、

「なりたい」という言葉の裏には、「(今がそうでないから)変わりたい」という思いがあることがわかります。
つまり、そこには「今の自分ではダメ」という思いが潜んでいるような気がしませんか?

「ありたい」という言葉の裏には、「(今そうであるから)この状態を保ちたい」という思いがあります。
つまり、「今の自分の中にすでに理想の姿がある」という思いが潜んでいるのです。

なるほどな、と。そういう意見もあるのか、と。

上記意見が「ありたい」と「なりたい」を全くの別軸のものと考えているとするならば、私の視点は少し違う。

私は「ありたい」と「なりたい」は共存すると考える。

共存する、というか「ありたい」の延長線上、「ありたい」をより磨いたものが「なりたい」なんじゃないかなって。

言葉の意味に関しては上記サイトと全く同じようにとらえる。
「ありたい」は今この瞬間の理想の形で、なおかつ意識すればできること。
「なりたい」は将来的にそうなっていきたいけど、今は難しいこと。

私自身学生時代、部活の顧問に口酸っぱく言われてきたのが

「凡事徹底」
「当たり前のレベルを上げていくこと」
「現状維持は衰退しているのと一緒」

だ。

その結果今たどり着いた意識していることというのが、「できることをやりながらできることを増やしていく」ということ。

「ありたい」姿は確かに今大切にしていることだ。
今の自分が出せるベスト。

だけどそこでは満足しない。現状で満足せず、そこよりもさらに1つ上のレベルへ。その先に見据えるのが「なりたい」姿。それが自分なりの定義。

顧問の先生の教えが相当刷り込まれている結果なのかもしれない。

でも刷り込まれてよかったと思っている。
自分にストイックになれているから。
過去があっての今であり、そしてその先に見据える未来という感じで一直線につながっている感じがするから。


「ありたい」ばかりに固執して現状に満足してはいけない。
「なりたい」ばかりを追いかけて今がないがしろになってもいけない。

「ありたい」で今を見つめなおし、「なりたい」で未来を見据える。

「ありたい」と「なりたい」の共存、そして追求が、この先ずっと自分のテーマだ。


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