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どこまで息が持つのか

小学生の頃の自慢は、「小3くらいの時に、息継ぎなしで25m泳げたこと」だ。これは25mを泳げたことがすごいということを言いたいのではない。25mなんて半分以上の人が泳いでいた。ここで言いたいのは「息継ぎなしで」という部分。

勘違いしちゃいけないのが、
「息継ぎしなくても25m泳げますよ~」ということじゃない。
「息継ぎできないから、息継ぎなしで泳ぐしかない」のだ。

結果的に小学校高学年になってから息継ぎが出来るようになったのだが、もうその時の楽さたるや。最高だった。

息継ぎできないとがむしゃらに泳ぐしかない。生きるか死ぬか、みたいな戦いだ。気合で25m泳いでた。


この表現が適切なのかどうかはわからないけど、今の自分はあの頃とどこか似ている。今まさに「息継ぎなしで泳いでいる感覚」だ。出来るなら息継ぎをしたい、でも仕方がわからない、ただ泳がなくちゃ、進まなくちゃならない。だから必死にクロールしてる。ただただがむしゃらに。

あの頃と同じで、「スタミナ」が取り柄だからまだ泳ぐことができてるけど、正直そろそろ息継ぎしないとやばいと思っている。早く息継ぎを覚えたい。

逆に息継ぎを覚えたら、どこまでも強く速く泳ぎ続けられると思っている。見つけていかんと。

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