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個人にとっての”経済と道徳”

先日、Xでこんな投稿をした。

このことについて140字じゃまとまらない部分もあるからもうちょっとまとめてみたい。

皆さんは「経済と道徳」という言葉をご存知だろうか。

かの有名な二宮尊徳が言ったとか実は言っていないとかと噂されている言葉だ。セットで出てくるフレーズとして、

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」

これは企業レベルでも話題に上がることは多いんじゃないかと思う。中でも「道徳経済合一」の理念を掲げたのが渋沢栄一。渋沢の言葉として認識した人も多いんじゃないだろうか。

”道徳”ってすごいざっくり言うと「私利私欲ではなく公益を追求すること」で、一方で”経済”は「利益を求める」ことだ。

したがって企業の観点で言うと「いくら素晴らしいことをやっていてもお金にならないと持続可能性はないから”寝言”だよ」となるし、「利益ばかり追求して道徳心を顧みないのなんて”犯罪”だよ」ということになる。

思うにこれってここまで堅く考えないにせよ、個人にも当てはまるものだなと思っていて。


ここからは人それぞれの価値観にもつながってくる部分だから、一概に「すべての人が」とは定義できないのを前提として。私にとって「経済と道徳」を考えた時も、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」だなと思う。

つまりつまり、わかりやすい所から言うと「お金を稼げればいいのか」というとそうとは思わない。きれいごとかもしれないけど、でもやっぱり自分は、自分が働くことを通じて誰かが少しでも生きやすくなったり、選択肢が広がったり、未来に希望が持てたり、そんなことにつながることをやりたいと思っている。

でもじゃあ上記のことをやれていれば、自分はお金を全く稼げていなくてもいいのか、というと決してそんなことはなくて。やっぱり自分にも生活がある。生きていかなくちゃいけない。「お金がすべてじゃない」とよく言われるけど、生活していくためにはまずお金が必要になってくる。

裕福な生活までは望まなくとも、自分にある程度の余裕がないと自分以外の誰かのことにベクトルを向けるのってとても大変な作業だと思っている。


いくら「いいこと」をやっていたり、「学びになること」「社会にとって必要なこと」をやっていたとしても、それで自分の生活が成り立たないのであれば、そこを”離れる”という選択肢をとることも視野に入れなきゃいけない。

冷たい視点かもしれないけど、やっぱり自分あってこその他の人の存在だと思っている。前に記事で書いたけど、この世界はあなただけのものじゃないけど、あなたにとっての世界はあなたが主人公でなければならない。そのための選択をとっていかなければならない。

個人にとっての”経済と道徳”。

常に脇に抱えて、日々確認しながら進めていきたい部分だなと思う。

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