「弱さ」もきっと返報性なんだと思う
「返報性の原理」というものを聞いたことがあるだろうか。
”人は何かしらの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱く原理”
のことだ。
何かやってもらったら自分も何かやってあげたい、
海外の方はわからないが日本人は結構こういった考え方の人もいるんじゃないだろうか。
最近になって気づいたことがある。
「弱さ」も返報性だな、と。
どういうことか、言語化していきたい。
*
学生の頃の自分はズルかった。
人に弱さを見せなかった。見せなかった、というよりかは見せられなかった。出来ている部分は見せないように、影に隠れて練習するタイプ。常にみんなの前では完璧であろうとするタイプ。
聴こえ的にはカッコよく聴こえるが、これが見事に周囲と見えない壁を生んでしまっていた気がする。その壁に気づいたのは自分が弱さを見せられるようになってから。
「あいつは何でもできるから任せておけばいい」
「なんか相談しづらいな」
直接言われたわけじゃないし自分の妄想に過ぎないが、もし自分が周囲の立場だったらきっとそんな風に思うだろう。
私の心にはずっと「誰かの力になりたい」という思いがある。すっごい抽象的だけど、自分の人生を受け、それが勝手に自分の使命だと思っているから。でも頼られることはあっても、信頼されることは少なかった気がする。
それはきっと自分が弱さを見せてこなかったから、周りも弱さを見せづらかったんだと思う。
*
人って自分の弱さを見せるのはものすごく勇気がいる。だって誰にだって自分のいい姿を見せていきたい。好きな人であればなおさら。
でもその一方で、人は相手の弱さが垣間見えた瞬間、急に親近感を覚える。そして弱さを見せてくれた瞬間、一気に見えない壁が取り除かれ、「その人のためになんとかしよう」という気持ちが芽生える気がする。
「自分がいなきゃダメなんだ」
多少オーバーな表現かもしれないが、ニュアンスとしてはそんな感じ。
そして弱さを見せてくれた相手には自分の弱さも見せやすくなる。
だってもう壁がないから。お互いにお互いが「足りていない」ことを自覚しているから。そういった意味で”返報性”だな、と思う。
こういった弱さを見せられる相手が一人でもいるかいないかの差ってめちゃくちゃ大きくて、弱さを見せてくれる相手がいるかいないかの差ってめちゃくちゃ大きくて。
そのことに気づけたのも、大学生になって人に弱さを見せられるようになってから。
*
ずっと気に入っている言葉がある。
「誰かの弱さは、誰かの強さを引き出す」
みんな強い。だけどみんな弱い。
お互いがお互いの足りないところを補いあっていく。
一人で生きているようで、みんなに支えられながら生きている。
綺麗ごとみたいだけど、でも絶対そっちの方がよくて。
少なくとも自分はそっちの方がよくて。
せっかくなら「誰かのため」に動く人生を全うしたい。
それがひいては「自分のため」になるから。
そのためならガンガン自分の弱さをさらけ出したい。
そしてみんなに支えられていきたい。
弱さもきっと返報性なのだから。
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