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”「障がい」をなくすしごと”の再考

「捉え直す」という記事を書いてから早速の第一弾。

当社のブランドメッセージである”「障がい」をなくすしごと”について再考してみたい。


ブランドメッセージ

改めて中身の部分を紹介すると、

「障がい」とはなんでしょう —

どんなひとにもあるもの、そうわたしたちは考えています。
例えば、わたし自身、そしてあなた。
わたしも、あなたも、完全ではありません。
誰にだってできること、できないこと、得意なこと、苦手なことがあります。

そう「障がい」はすごく身近なもので、だれにでもあるもの。
「障がい者」にだけあるものではありません。

では「障がい者」「健常者」とは、なんでしょうか。
常に健康なひと、そんなひとは本当にいるのでしょうか。

この「障がい者」と「健常者」という言葉に
わたしたちは違和感を感じずにはいられません。

わたしたちは「障がい」をなくす “しごと” をしています。

そのしごとは単に、病気を治す、環境をととのえる、というしごとではありません。

すべてのひとが何かしらの「障がい」があっても
だれかに必要とされたり、誰かを支えたりしているのが
あたりまえな社会をつくるしごとです。

その先には「障がい」という言葉はもちろん
「障がい」という概念そのものがない未来があると考えています。

わたしたちはこの未来づくりのために
これからも変わらず、変わりつづけていきます。

ホームページより

これに対して、入社前の私が捉えていた記事がこちら。

要約すると、

「どうしても福祉には”支えられる側”という印象がついている。しかし誰だって『誰かの役に立ちたい』『自分が望む未来を実現したい』そういった想いがあるはず。その想いに障害のある/なしは関係ない。だからこそそういった想いが実現できるのが当たり前な社会にしたい」

と書いた。

ここの想いにブレはない。
学生との面談の時も、ブランドメッセージを紹介するときによくこう伝えている。
だけどちょっとこれだけだと薄い。
言葉の上澄みを言語化したにすぎない、と今見れば思う。

そこから実際に現場に入り、支援を行い、「当たり前」だけど入社前より見えてきた世界が広がった。

社会側のこと。福祉側のこと。自分ができること。


社会側でいえば、やはり「障害」というものの捉え方に対して知っている人と知らない人の差が大きいなと感じる。それを特に感じるのは就労移行支援にきて障害者雇用での就職を目指している方を支援しているとき。

企業側とのかかわりの中で、そもそも障害者雇用というものになじみがない人もいる。
また障害者雇用を行っている中でも面接などで、「障害のある人はこういった傾向があるけどそこの点は大丈夫ですか?」とラベリングして聞いてくるパターンもある(人事担当は障害者雇用をある程度知っていても、その上の経営層が馴染みがなく質問してくるパターン)。
採用しても、障害者雇用率を満たすための「数」として見ていて、まったく仕事を与えないパターン。
その一方で、一人ひとりに親身に向き合って、その方が輝ける環境はどういった場所か一緒に考えてくれる方もいる。

ラベリングするのは簡単だけど、それじゃ本当の部分は見えてこない気がして。それにラベリングの危うさは「わかったつもり」になることで。だったらいっそ「わからないから、知りたいです」というほうがよくて。

社会にとってもっとこの「障害福祉」という分野がラベリングにとどまらず、向き合う・考える対象になればという思いがある。


じゃあ福祉側は指をくわえてその時を待っていればいいのかというとそんなことはなくて。

福祉としても内輪だけで盛り上がっちゃいけない。自分たちの取り組みをどんどん発信していくことが必要だと思うし、「いいこと」をやっているんだからどんどん知ってもらったほうがいいと思う。

加えて社会には「ルール」がある。これにも障害のある/なしは関係ない。ここの最低限のルールの定着は、福祉側の使命だと思う。

社会が、福祉が、どちらかがどちらかに近づくんじゃなくて、互いにお互いを知りながら歩み寄っていく。それが必要なんじゃないかって、働いたことで思ってきた。


じゃあそんな中で私ができることは何か。
1つは今担当している場所での支援を全うすること。移行支援に来たことで、それこそ直接的に「社会」(企業)と「福祉」をつなぐ役割を担っている。

それともう1つが「言葉」で社会と福祉をつなぐこと。”言葉を紡ぐ支援員”の所以もここだ。

社会にとっては「それ」がなんだかわからないから、説明されていないから「わからない」「怖い」になる。福祉にとっては「どうせわかってもらえないんじゃないか」「説明するのが大変」という思いから言葉にするのを後回しにしていた印象がある。

それによって距離が生まれる。
私自身、大学時代までは「社会」側の人間だったから、すごい距離を感じた。自分としてもあまり近づこうとしてなかったのが本音だ。

どっちの立場もわかる自分だから、そこを自分の得意、、、というか”好きな”言葉でつなぎたい。そう思っている。その一つがこういった『発信』である。

この思いが、入社して現場で支援をすることでより強くなった。


改めてこうやって振り返ってみても、”再考”するのも悪くない。



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