「嫉妬」という感情に迫る
嫉妬ってものすごく面倒くさい感情だ。
嫉妬:自分より他人の方が優れている、あるいは自分より他人の方に愛情が向けられている、といった認識に伴って生じるネガティブな感情のことである。一般的には、羨望と憎悪が含まれる攻撃的な感情と捉えられる。
何が面倒くさいって、「自分でコントロールできない」こと。
基本的に嫉妬ってあまりいい意味で使われない。
しなてもいいなら、そりゃわざわざマイナスな感情にはなりたくない。だけど、だけど本能的に嫉妬してしまうことってある。
その都度、
「嫉妬の根源は自分自身にあるのだから、しっかりと受け止めなさい」
とこれまでの自分は折り合いをつけて過ごしていたのだが、なんとか言語化出来ればもっと楽になるのかな、と思ったりもする。
嫉妬とは何なのか。
その正体は何なのか。
その正体が少しでも分かれば、嫉妬する自分を少しは認めてあげられるんじゃないか。そんな気がした。
そんな中、偶然こんな記事を見つけた。
「嫉妬とは、憧れでなく、寂しさである。」
タイトルから「ハッ」とさせられた。
確かに嫉妬は単なる比較ではない、ということは感じていた。
自分よりめちゃくちゃすごい、画面の向こうの世界の人には当然嫉妬しない。だって敵わないのはわかっているから。だからといって負けを認めたわけじゃないけど。
その一方で自分の身近なすごい人にだって嫉妬よりも尊敬が勝つ。
自分の身近にだって、「この人スゲー!」と心から思える仲間の存在がある。憧れとともにライバル心はあるが、そこに嫉妬という負の感情はない。
だから「嫉妬=憧れ」ではない。
むしろ「憧れ=尊敬、興味、モチベーション」だ。
そこでもう一つ書かれているのが「嫉妬=寂しさ」という視点。
”その人の価値観では、自分に興味がないと分かった瞬間に、心苦しさを感じてしまう。”
あ、まさしくだなと思った。
そんな24時間365日同じ人を見ることなんて不可能なのに勝手に嫉妬するなんて、つくづく人間って都合がいいなと思う(笑)それが人間らしいとも言えるのかもしれない。
私がそこにもう一つの考えを付け足すとするならば、
”自分にも出来るはずなのに、それを行動に移せず、相手に先を越されている状態”
だと感じた。
前者が「相手の反応から見た寂しさ」だとするならば、後者は「自分自身に対しての寂しさ」だと考える。
「あぁ、自分もそれ出来たのに。それをやってあの子褒められているじゃん。なんでやらなかったんだろう。」
「自分も思いついていたのに先越された。しかも成功している」
結局それは自分の「弱さ」がもたらした結果なのだが。
そしてそのどちらもが嫉妬という感情につながる。
あ、でも”寂しさ”以外にももう一つ視点があった。
それは「この人には負けたくない」という感情。
少し表現難しいのだけれど、憧れの人に対しての”この人を追い越したい”という感情とは違う。
自分と同等ぐらいの人に対して発生する感情だろうか。
相手はそう思っていなくても、気づけば自分が相手の行動に注目してしまっていて、相手が上手くいくと嫉妬してしまう、、、なんてこともあるのではないだろうか。
こうやって嫉妬の言語化をしてきたが、言語化の何がいいかって正体がわかると対策が出来るということ。
興味を持たれていないことに対しての寂しさに関しては、対策というよりは「寂しさを感じている自分をまっすぐに受け止めてあげること」。自分の気持ちを見て見ぬフリをしないこと。
自分自身に対しての寂しさに関しては、相手がどうとかはどうでもよくて、自分に出来ることにしっかりとベクトルを向けること。
自分と同等ぐらいの人に対して発生する寂しさに関しては、目標設定をより高くするということ。
憧れの人に対しての「負けたくない」という感情に嫉妬は生じないのだから、常に憧れの存在を目標設定の対象にすることで感情のコントロールは出来る。
今回は嫉妬の根源を言語化してみた。
きっと嫉妬は避けては通れない道なのかもしれない。だけどその正体を知ることで受け止めることが出来る、対策が出来る。
また一つ、自分の中で抽象的に感じていた部分を解読することが出来た。
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