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必要なのは「怒り」ではなく「知恵」

言葉のインプットは常日頃から大切にしている。

本だったり、何かの記事だったり、誰かのnoteだったり、
それこそ日常の会話の中だったり。

そういった日頃目に触れる文字や言葉の中で、印象に残るものがあったら、スマホやノートにメモするようにしている。


最近出会って印象に残った言葉を紹介したい。それが、

「怒りでは何も解決しない。必要なのは、怒りではなく知恵」

という言葉。

ものすごく腑に落ちる言葉だった。と同時に、それが難しいんだよな~、なんて思ったりもする。

感情って言葉よりも速い。

これは過去にも記事で書いたことがある気がする。
実際、感情が動いてから理性が働くまで6秒かかるらしい。この6秒をどう乗り切るかが大事、みたいな動画を見たことがある。

怒る、ということ自体は悪いことじゃない。
時に怒ることが必要なことだってある。

だけどここで気をつけないといけないのは、
感情に身を任せた怒り整理された怒りは違うということ。

感情に身を任せた怒りって、相手の人格否定だったり、事実に対して否定しているだけだったり。それを言ったことで何かの解決につながることって少ない。

一方で整理された怒りって、どこの行動のどの部分が改善点だとか、どうしてそれをしたか、とかそういった行動や構成に対して疑問を呈するものな気がする。そのうえで、「こういう選択肢もある」「こういう選択肢もある」と、別のやり方を提示できることも大切だと思っている。


そのために必要なのが「知恵」だ。

感情に身を任せた怒りは、言わば選択肢を提示できないからの余裕のなさも1つ起因しているんじゃないかって思う。

別の方法が浮かんでいれば、そもそも怒ることなんてない。余裕があるから。怒っても解決にはつながらないとわかっているから。

「知っている」って余裕につながる。
必要なものを必要な場面で使えることで幅が広がる。

子供の頃、学びって何で必要なんだろう、と思ったこともあったけど、その1つの理由に気付けた気がする。


これの難しさって、
こうやって冷静な時はあたかも「すべてできますよ」みたいな感じで記事を書いているけど、いざ自分がその場面になったら感情が先に出てきてしまうこと。

そういう時に自分の未熟さを感じる。

そんな時に、立ち返る記事でありたい。


必要なのは「怒り」ではなく「知恵」だと。

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塩浦良太
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