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事実は不変だが、解釈は可変

「事実と解釈」


何かと話の議題にあがるテーマだ。

私自身もこれをテーマに記事を何度か書いたことがある。

そこにまた新しく自分なりの「解釈」を加える。それが、「事実は不変だが、解釈は可変である」ということ。

一体どういうことか。

なんならすでにここまでの文章で一つの答えは出ているが、言語化していきたい。


・・・

まずはそれぞれの言葉の意味を見ていきたい。

事実:実際に起こった、または存する事柄。
解釈:文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。
不変:変わらないである状態を保つこと。
可変:変えることが出来ること。

単刀直入に言おう。

事実は過去だ。だから不変だ。

解釈は今だ。だから可変だ。

もう少しわかりやすく説明すると、事実というのは、その事が起こった当時であっても、数年たってからのであっても、そしてきっと数年後の未来であっても揺るぎない「事実」として残っている。

その部分の歴史が覆されることはない。


だけど解釈は違う

その当時に思った感情と、今の感情、そして数年後の未来の感情、それぞれで別の感情を持つことが出来る。一つの「事実」に対して様々な捉え方が出来る。

何より”今思えば”が通用する。


その当時はめちゃくちゃ辛かった事実だったとしても、数年たった「今思えば」、自分が一皮も二皮も向けるためには必要な経験だった、と新しい解釈を加えることが出来るかもしれない。

たとえそれが美談にまではならなくても、マイナスだけの経験ではなかったんだということになる。


せっかくの自分の一度きりの人生、一つも無駄なことはなかったと思いたい。

だったら解釈で変えればいい。それが相手に迷惑をかけない解釈であれば、”都合のいい解釈”上等だ。

相手を悪い意味で巻き込んでしまう都合のいい解釈は良くないが。

解釈は、我々に残された「最後」のチャンスだ。

そしてそのチャンスは、私たちが妥協しなければ永遠に訪れる。上書き保存可能な世界だ。


自分が変えられないことを悩むより、自分で変えられる部分に目を向けて変えていった方がいい。これも自分自身に口酸っぱく言っている部分でもある。

事実と解釈の関係もまさしくこれだ。


これまでがこれからを決めるのではない。

これからがこれまでを決めるんだ。


その際必要になってくるのは不変である「事実」ではなく、可変である「解釈」だ。


そう考えると、失敗という事実を恐れて一歩を踏み出さないより、いろんなことに挑戦した方が豊かな人生になる気がしてきた。

たとえそれが小さな一歩だとしても。

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