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何を得るかより、何を残せるか

すごく大事にしている言葉がある。

それは、

「人生の価値は何を得るかではなく、何を残すかにある」

というものだ。

上記に添付したTEDの動画に登場してきたこの言葉。最初にこの動画を見たのは大学2年生くらいだった気がするが、今でもたまに見返すことがある。


動画の内容とは違うが、自分なりにこの言葉を解釈してみたい。


・・・

いきなり矛盾した内容になるが「何を得るか」、ってめちゃくちゃ大事なことだと思っている。

ただただ惰性で生きていくのはすごくもったいないし、それだったら何か目的をもって学んで自分の身となった方がいい。

だから、自分が学びたいものを学んで、得たいものを得る。
そういった人生も魅力的な人生の一つだと思っている。


しかしせっかくだったら自分が生きた証拠を何か残したい。

ついついそう思ってしまう人もいるのではないだろうか。
ちなみに私はそうだ。

時々、特に時間に余裕があったときはボーっとしていると考えたものだ。

「何のために生まれて、何をして生きるのか」

アンパンマンの歌詞みたいだが、結構真剣に考えたこともあった。

自分が何のためにこれから生きていくんだろうか。

正直、明確な答えが出ないことは自分でもわかっていながら、それでも自問自答を繰り返す

何かを得ることで満足するのか、そもそも何か得たいものはあるのか。
実際のところ、今はなかなかハッキリとは見えない。

そうやって、悩んでは自問自答し、悩んでは自問自答し。


でもその答えが一つ見えた気がする。

それが「何を残せるか」だと思っている。


動画内でも登場してくる言葉であるが、

「何か得たとしても、それを上まで持っていけるわけではない。でも価値として何かを残せればそれが生きた証になる」

「生きた証」なんて、そんなカッコいいものじゃなくてもいいのだが、自分が生きたことでこれからの子たちに少しでも何か役に立てたら、それってすごく嬉しいことだな、と感じる。

実際、こうやってnoteの記事を書くのもその一つなのかもしれない。


本質としては「自分のため」に書いているものかもしれないが、その書いた記事はしっかりと残る。

その残った記事で心救われる人が、次の一歩を踏み出せる人が、「自分はこうなりたくない」と反面教師に思う人がいるかもしれない。

それだけでも自分が残したものが役に立ったと言える。

私だって、数多くあるnoteの記事に心救われた経験がある。
全然そんなわけないことはわかっているけど、まるで自分に向けて書かれたのではないかと思うような記事に出会ったこともある。


社会に対してどんな価値を残せるか。

常にこの視点を忘れずにいたい。


・・・

一気に舞台を日常に戻して考えてみる。

新入社員として入社し、本当に毎日毎日が新鮮で、裏を返せば覚えることだらけの日々。

ここで「教えてもらったことをしっかりと覚える」、だけでは「何を得るか」で止まっているのと同じだ。

そこからもう一歩先へ行って、教えてもらったものを「次の誰かに教え」たり、「形として残し」たり。そうやってインプットしたものをしっかりアウトプットするまでやることで「何を残したか」につながるのではないだろうか。


マクロ的な視点で見れば、社会に対して何か「価値」を残せる人になりたい、ミクロ的な視点で見れば自らのインプットで終わらせず、誰かに届けるアウトプットまで徹底したい。

そうやって常に、「何を得るかより、何を残すか」を念頭に置いて頑張っていきたい。

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塩浦良太
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