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正義と正義の合流地点

今回書く気持ちは、
とりわけポジティブでもなければ、かといってネガティブでもない、
ありのままの思いをつらつらと書ければと。

じゃあ何を書くのかと言うと、
毎日を必死に生きてるなぁ、ってしみじみ思います。
いい意味でもちょっと嫌な意味でも、
これが生きていくということかという感じです。


子どもには子どもの大変さがあるし、
子どもそれぞれによって環境は違うから一概には言えないけど、
どちらかと言えば「生かされている」側でした。

1人で生きていくための準備として、学校で勉強したり友達と遊んだりしながら1日という時間に強弱を感じながら日々を送っていた気がします。

気づけば大人になって、朝起きて仕事へ向かって気づいたら夕方になって、帰って晩ご飯食べたらもう時計の針はもうすぐ12時で。
寝たらまた明日がくる、という当たり前のことを感じる年頃になってきました。

もちろん働くということは、お金を稼ぐことだけじゃなくていろんな要因があるわけだけど、でも少なくとも私にとっての1つは生きていくための手段の1つで。

例えば「理想としているキャリアを実現していくためには、これくらいの我慢は必要だ」という前提が成り立つことは理解できる一方で、
「聞こえのいい言葉に納得しているだけでは、自身の生活が成立しなくなる」というのも至極真っ当で。

自分の中の正義を貫きたいという想いがある一方で、心のどこかで正義は一回脇に置かないといけないかな、、と諦めてしまいそうになることも少なくないんじゃないかと思います。


人や組織、立場が違えばそこに存在する正義が違うことは当たり前で。
正義と正義が「こっちが正しい」とぶつかり合うと争いしか生まれない。

なんか社会的な記事みたいになっているがそんなこと書きたいわけじゃなくて(笑)

ここで考えたいのは「じゃあ弱い方が折れろ」というんじゃなくて、自分の正義は自分が抱いたものだから大切に大切にしないと。そのうえで、相手の正義と比較した際にすり合わせられる部分がどこにあるか、というのを探す努力は大切にしないとな思うんです。


正義と正義の合流地点を見つけられるのが大人だと思うんです。
自分はそういう大人になりたいなと思うんです。

生きていくのって複雑で厄介で大変な部分もあるけれど、
だったらみんなご機嫌でやっていけるようにするために、
みんなの正義が実現する合流地点を探していきたいものです。

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!