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言葉にする力を鍛えておく

「わかりづらいからもっと言語化して」
「言語化して考えてみましょう」


巷には「言語化」という言葉をよく耳にするようになった。なんだか最近になってからの気がする。

いや、これは自分が言語化することを意識し始めたから耳に残るようになったのかもしれない。何はともあれ、「それってつまりどういうこと?」とついつい言うことが増えてしまった。相手に対しても、何より自分に対しても。

はたから見るとめちゃくちゃ面倒くさい奴だ(笑)

きっと高校生くらいまでの自分だったら、

「うっせぇよ。そう思うからそうなんだ」

と答えていたかもしれない。まるでそれは”1+1がどうして2になるのか”ということを聞かれているのと同じ感覚かもしれない。「そういうもんだから」としか言えない。



だけど今の自分は少し変わった。言葉にする力を鍛えておきたいな、って。

どうしてか。

それは巡り巡って自分のことを救うのは、周りを巻き込むことができるのは言葉が大きく影響していると思うから


言語化って正体のないものを、「見える」状態にすること。意味がなかったものに説明を加えること。存在していたものに価値を加えること。そんな感じだと思っている。

だから、「見えないものを見ようとして、頭の中を覗き込む。」そうやって言語化の作業を進めていく。

これだけ見ても正直、抽象的なものを言葉にする作業って面倒くさい。大変だし、時には自分の痛い部分にも目を向けないといけないことだってある。

大変で、面倒で、別にやらなくてもなんとかなること。

確かに日常を何気なく生活していくなかでは必要ではないかもしれない。

でもここぞという時に頼りになるのは言葉、言語化だと思っていて。見えない敵と戦うより、正体がわかるもの戦った方が怖さはまだ軽減される。言葉に出来ることで周りに助けを求めることが出来る。

好きな言葉がある。

「想像力は困難に絶望しないための強さ」


言語化出来ることで人に説明できる。
人に助けを求めることが出来る。
人に協力をお願いできる。
人を巻き込むことが出来る。

言語化出来ず、「察してくれ」は、都合がいい
頑張っているから気づいてくれ、は都合がいい

言葉にされないとどう助ければいいのかわからないし、言葉にされないと何を何のために頑張っているのか見えてこないことがある。もちろんそれでもいいケースはあるが本当に巻き込んでいきたいなら行動と言葉の両輪が走っていないといけないと思う。

イメージできるものに共感し、イメージ出来るから行動し、イメージできるからその未来にワクワクし、巻き込まれるから。


言葉に出来るは武器になる


これはまさしくだと思っていて、誰かを救うための武器になることもあれば誰かを傷つける凶器にもなる。そういった諸刃の剣的な側面があることは理解しておかないといけない。

でもそれを踏まえても、絶対「言葉にする力」はあった方がいい。

大切な誰かを守るための、仲間を鼓舞するための、何より自分を守るための武器になってくれるに違いない。


もっと言葉と真摯に向き合いたい。

言葉にしようとすることで、言葉にしたいものと真摯に向き合うことにつながると思っている。一石二鳥だ。

そうやって向き合い続けて言語化された言葉たち、その言葉たちが誰かの明日を生きる糧になるかもしれない。自分が発する言葉に愛を持つ人が増えたら、今よりもっと優しい世の中になるかもしれない。


そんな可能性が言葉にはある。

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