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私が出会った3人のパラスイマー達①

遡ること2018年2月、私は日本を代表するパラスイマーの木村敬一選手とボルティモアにいました。

2020年夏に向けての新たなチャレンジとして、米国に拠点を移してトレーニングしたいという思いを実現するために前年から話し合い、ゼロベースでのプログラム作りに取り組み、やっと渡米することになりました。これから幾度となく訪れる地ですが、あの極寒の中過ごした時間、そして出会ったその他二人のパラスイマーとの時間は今でも記憶に深く残っています。

アメリカの東海岸の2月はとにかく、寒い。そんな時、温かく私達を自宅に迎え入れてくれたのは2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの2大会連続で金メダルを獲得しているブラッド・スナイダー選手でした。そもそもこのプロジェクトは彼との連絡からスタート。実質ライバルであるはずの選手を迎え入れ、自らのトレーニング環境を提供。敵に塩を送る行為ですが、そんなことは微塵も感じさせない。

それは彼のこれまでの「不可能を可能にしてきた人生」から来る強さだと思いました。アフガニスタンの戦場で敵を意識せざるを得ない日々の中での負傷。爆破装置を踏んで視力を失いました。想像も出来ない世界を生きてきた話を聞きながら、こちらは頷くことしか出来ません。でもそれに対して、悲壮感を全く感じさせない不思議な空気の中にいるような喋り口調。

スナイダー選手に言われて印象に残っているのが、「通訳」についての話。「戦場では数多くの通訳の助けてもらってきた。色んな通訳を聞いてきたけど、あなたは本当に会話を分かりやすく訳しているのが話している方にも伝わってくる。」これは今までの人生の中で本当に心に残っている褒め言葉の1つです。それだけ彼は自分の凄さを話すことはなく、常に周囲を褒めることを忘れません。

現在スナイダー選手は海軍兵学校で教壇に立ちながら、トレーニングを続け、様々なスポンサー活動と忙しい日々を送っています。そしてなんとそのトレーニングは今までの水泳だけではなく、トライアスロンへの挑戦です。これほどまでに「不可能を可能に」という言葉を体現しているのは尊敬しかありません。

彼の著書にはそのストーリーが細かく描かれていますので、ぜひ読んでみてください。更に検索しただければ、動画も多く掲載されています。

あの冬から何度も再会を果たしていますが、会話は毎回色んな話題に広がり、いつも刺激をもらっています。色んなことに気遣いをしてくれて、常に前向き。会う度にこちらがパワーをもらっています。

こちらの記事での木村選手の一言がスナイダー選手の全てを物語っているのかと思います。

「パラリンピックが人生のすべてだと思っていた僕と違って、彼は人生そのものを楽しんでいる」

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次章では出会ったもう一人のパラスイマーのサーロン・ドレイク選手との時間について振り返ります。





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