「挑戦的な生き方とスマートな生き方」 No.158
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2021年6月8日 「DAYONE日記」No.158
本ブログは、何か新しいことを始めるきっかけになることを書いていきます。
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人は、つくづく「自分を良く見せたい生き物」だと思います。もっと言うならば、スマートに何でもこなせるようになりたいし、人からそういう風に思われたいと思う生き物だということです。
近々、お客様へのプレゼンがあるので、昨日、その打ち合わせをしていました。
その打ち合わせ中に…
「お客様にわかってもらうには?」
(お客様のためにどうするのか)
という観点よりも、
「よりも失敗しないためには?」
「よりスムーズに説明するには?」
という議論が中心になっていたし、何よりも自分もそんな気持ちでいたことに気づき、今日はそのことについて書きます。
皆さんもこんな気持ちはありませんか?
「講演でスマートに話がしたい」
「ビジネスの商談をスマートに進めたい」
「ホテルやレストランでもスマートにしたい」
「文章もスマートに書きたい」
私はあります(笑)
でも、スマートに見せたいと思っても、最初からスマートにすることが難しいのです。
スポーツ、音楽、勉強、スピーチ、仕事など、何でも初めからできる人はいません。
何でも何回も練習をして、少しずつ上手くなっていくのです。
最近、私が見た事例として、長男のリコーダー(笛)です。最初は、音すら綺麗に出せなかったのですが、毎日練習を続けていると、音が安定するようになり、やがて、曲が弾けるようになっているのです。
つまり、最初は誰でも「格好悪い(できない)」から始まるということです。スマートの対局からスタートするのです。
そして、何度もやっていくうちに、様になり、出来る様に洗練されていくのです。でも、気をつけるべき点があります。
それは、「スマートに振る舞うこと」に重点を起きすぎると、無骨な行動を取りにくくなるのではないでしょうか?
つまり、自分の殻に閉じこもるイメージです。
人は、他人から…
「スマートに見られたい」
「褒められたい」
という欲求があるからこそ、その欲求を意識しすぎて、自分の出来る範囲のことしかやらなくなるということです。
自分の出来る範囲を超えると、「スマート」ではなく「格好悪い」ということになるからです。
それが、よく現れているのが年齢の呪縛ではないでしょうか?
ある程度の歳になった人からよく聞くフレーズがあります。
「もう、この歳だから…」
「もう、この役職だから…」
「この歳になって恥をかきたくない」
「この歳から、本気で頑張れない」
「本気で頑張るのを見られるのが恥ずかしい」
「これ以上できない」
仕事をしていると、本当によく聞くフレーズです。歳を重ねていくと、体裁(=スマート)を気にして、頑張ることについて恥ずかしいとか格好悪いという気持ちが大きくなるのだと思います。だから、自分の出来る範囲のことをやるという着地になるのです。
そもそも、どんな歳からでも、気持ち次第で挑戦できるはずです。だから、格好悪いだろうが、1歩を踏み出さないと何も変わらないです。
何も変化のない人生を望むのであれば、自分の出来る範囲でスマートにやれば、良いのかもしれません。
でも、最初は格好悪くても、続けていくことで必ず洗練され、様になっていくと思います。
そして、人はいつからでも挑戦できるのです。それを格好悪いと思うかどうかです。そんなことを気にしていても、何も変わらないのも事実です。
だから、いつでも「踏み出す勇気」、これを持つことが大事です。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
と言われるように、行動しても最初だけです。格好悪いのは。後は、必ず良くなるはずです。
だから、失敗しても、それはそれとしてしっかり受け止め、次に生かすことが大事です。
「失敗を恐れない」という気持ちを強く持ちたいです。
そして、何よりも歳を重ねるからこそ挑戦していく。この気持ちを忘れず、そして、大器晩成という言葉を意識して、日々頑張っていきたいと改めて感じました。
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