祖父の日記(サバン島抑留)038 水の制限・夜景・屈辱
水の制限 七月十九日
毎日の空腹は勿論のことながら、水の制限も甚だしく肌着も十分に洗うことが出来ない。
困苦欠乏に耐えることには慣れ切った我々にとっても、茲、オラ ンダ人の方針が変らない限り此の水の制限は緩和されそうにもなく苦しいことだ。島内には川もあり上水道もある。そして直ぐそのキャンプの外側には大量の水の出る井戸もあった。何故我々に水を十分に与えないのか。
朝起床すると各人水筒一本のお湯で作業用に確保し、洗面用は支給されない。各人の食器を洗うにも一立入りの缶詰の空に一杯だけだ。
夕食時水筒一本の給水で、洗濯用の余裕などない。夕食後その水筒の水を洗面器に移してタオルを浸し、そのタオルで躰の汗を拭うのだ。最初の頃は毎日海へ連行されて水浴せしめられたが、水浴後の真水がなく、却って塩分が躰に残り汚れるので希望者も次第に減 って行ったが、偶々水浴中誰かが貝を見つけて喰べたのを知り、水浴よりも貝をとることに専念して此頃の空腹を何んとか満たそうと又水浴に行く者がふえた。
汗と油と埃りで汚れた上衣や肌着など、海水で洗って見るものの石鹸が溶けず、又海水で洗ったものを乾しても塩分がある為どうにもならなかった。
次第に吾々も要領が良くなって、毎日の給水を少しずつ空缶や洗面器に溜めて洗濯や行水の足しにしたが、全く水の一滴は血の一滴に等しいことを更めて痛感した。
汗すれば土にまみれて黒かりき
泥を塗りたる人形の如くに
夜景 七月二十日~七月二十二日
漁火か夜の彼方の海の上に
チカチカとして青灯またたく
星などを数え更け行く此のは
島の面を風の吹き抜く
のびのびといねんとすれど躰ぬち
きしめく如く骨の痛かり
いまはただ働くのみの躰なり
島の苦役に今宵も更けて
侮辱 七月二十二日
今日から便所の取壊しが始まった。
何分にも四百人余のいる収容者が、朝六時起床から作業整列の七時迄の一時間、点呼、洗面、朝食、作業準備、整列という工合で、斯ういうことには慣れた我々であっても、一番困るのは洗面所の狭隘さより両便所の不足だった。自分の来る順番を待ちながら足踏みをしているもどかしさ、順を待っていれば整列に遅れるという状態で、止むを得ず汲取口にしゃがんで用を足す見苦しい状態となった。 何んの遮蔽物もない此の方法は全く我々を困却させ、彼等の仕打を憎むと同時に、文明人としての処置とは到底思われない。
特に便所の取壊しが始まってからは、野天の構内の各所に長い溝を掘らせ、之を便所の代りに使用させられた。何んの覆いや遮蔽物のない場所の犬や猫に等しい此の行為、此の侮辱、此の蔑すみは、我々日本人の骨の髄まで恨みとなってしみとおり、オランダ人への反感に拍車をかけた。戦争犯罪容疑者というものは、斯んなにまでされても黙っていねばならないのか。想えば腹の底からムラムラと激しい憤りが感ぜられる。
忍ぶことの苦しきことと知りながら
この苦しみを尚忍べというか
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