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祖父の日記 030

再度本土を踏む

博多の沖合に碇泊せる我々の船は、七月二十六日早朝門司港に入り軍輸送司令部の小舟に乗換えて、門司に上陸する。風の無い門司の町は、鍋の底に立つ様な雰囲気を与え、周囲の山は、高い淵を思わせた。手鞄を一つ下げた儘の軽装であるけれ共、ビシビシと押迫る様な茲の太陽は、骨の芯までつらぬく様に熱く、出る汗も皮膚からではなく、躰の奥から絞り出されて来るように思われた。 門司の憲兵隊に出頭して、列車の割引証を貰ひ、郵便局で学校と郷里の父へ到着の電報を打った。やれやれと思うとたん、今迄我慢していた暑さの為に、汗が次から次へと流れ出て、拭いても拭いても尚汗が出る。遂にハンカチでは間に合わずタオルを出す始末、 それでもどうにか、昭南の人達から依頼された手紙を、全部投函することが出来た。 
駅に出て、下船時依頼したトランクを受取る為赤帽に怒鳴られ、 苦笑しながら、海辺に近い町外れの小さな食堂に入る。 
昔と異って今の店の人達の接客態度は全く零に近く、余りの不親切に憤らざるを得なかった。冷たい飲物があるというので、帳場の方をのぞくと、何んとしたことか、バケツ一杯に水道の水を流し込んで、その中へ何んとかエキスとやらを、タラタラと垂らして香りをつけ、食紅如きものを入れてかきまぜた程度の人工甘味料の飲物で、悪い商売人根性の、日本人の汚点のみをさらけ出している様で嫌だった。 
戦争で日本の国に物が無く共、人の善意はなくならない筈である。 品物の不足を良いことにして、之をもとめる客に、良い加減なものを与えるとは、大国民などと云うことは出来ない。口でこそ総力戦だとか軍民一致だとかいっているけれども、此の分ではまだまだ大 いに各自が考えねばなるまい。 
去年の今頃、阿部君等と共に、矢張り此の町を僅か数時間過したことはあったが、斯んな嫌な気分は味わはなかった。戦地から来たひがみではないけれども、今少し普通の状態であって欲しい。 
去年戦地へ発つ為に此の門司を訊ね、その足で下関に入ったあの時を、強い印象として未だ脳裡に残っている。去年のあの時、どうして一年経った今日のこのことを、予想することが出来得よう。 今、 戦争が有利である為に、一部の日本人を此の様に昂ぶらせるのではあるまいか。否、戦争はこれからであるというのに。本当に我々は軍民一致ということをもう一度、良く考えて見ることだ。 

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