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人々に称えられ最高の名声を得ても、決して人生は満たされない理由

誰もが一度は欲しがる名声や勲章、

輝いて有名になってチヤホヤされたいという願望。

多くの人はそれを手に入れれば満足できると思ってるけど僕は断言します。


その"心構え"で生きてる限りはどんな名声を得ても絶対に満たされません。


例えばわかりやすい例がスポーツ選手。
那須川天心とか羽生結弦とか…他にもたくさんいるけどこの二人の特徴は

その業界では唯一無二で歴代最高の選手であるということ。


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しかし、そんな歴史を遡ってみても稀な天才で、確実に後世に名を残す結果を既に出しているにも関わらず

彼らは全く満たされてないですよね。

「もっともっと」
「まだまだ満足してないです」

「これじゃ終われないです」っていつも言ってる。


既にトップで、充分過ぎるほどの名声をもう得ているにも関わらず…。


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そのハングリー精神があそこまで登り詰めることができた要因なんでしょうけど


"名声で満たされるのかどうか"を論点とするならそれがイコールじゃないことがわかると思います。


これはあくまでもスポーツ選手での例えですけどね、ただスポーツはわかりやすく名声や栄誉や勲章を得られるジャンルですから。

でも伝説級の名声や勲章を得てもそれが絶対的な"イコール満足"ではないことがわかると思います。

であるならば、今何かを目指して名声や勲章を求めてる人々にとっては

どこが満足できるラインと言えるのでしょうか?

そして

本当にそれを得たら満足できるのでしょうか?


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"一時的な満足でもいい!"

って割り切っているならいいですけど、大抵は名声を得ることによってその後の人生ずっと満たされた状態で生きれることを想像してる気がします。

少なくとも、かつての僕はそうでした。



だから名声を追うことを前提とした生き方をしていたら、

どれほどの名声を得られたとしても絶対に満足することなんて無いと僕は思います。


もし満足できないなら何のために名声を得たいんでしょう?

そもそもなぜざっくりとだとしても人は名声を欲するのでしょう?


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答えは単純です。


それが"自己肯定感の代理"になると思ってるから。



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自分で自分を愛して肯定することができないから、名声や勲章が代わりにそれを満たしてくれると思ってる。


でもね、自己肯定感の代わりに名声を求めてもすぐに枯渇しますよ。


例えるなら、

車で言うなら名声はガソリン…上質なハイオクですね。

そして"車体"はあなたそのもの。


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普通はハイオクを入れたら最高の状態になりますよね。良い走りができる。

でもそれはあくまでも車の状態が整っていたらの話。

もし車体自体がボロボロだったら? ハイオクを入れればそりゃ少しはその馬力で動くことはできます。

でも車体自体がやられてたら、燃費も悪いですからすぐに次の良いガソリンを欲してしまいます。


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ですからボロボロの車体に本当に必要なのは良いガソリンを入れることでなく、

車体そのものを整えてやること、ですよね。 


多くの場合は良いガソリンさえ入れれば最高の状態になれると思ってる。 車体がボロボロになっていることには気付かずに…。


でも車体=自分自身をしっかり整えてやれば良いガソリンを入れなくてもちゃんと走ることができます。



だったら良いガソリン(名声)を求める生き方ってあまり意味無くないですか?


それなら根元的な車体に目を向けて、磨いてやった方がよほど長持ちもするし状態も安定しますよね。

車体という自分自身を磨いてやれば、良いガソリンという名声を求めなくったって自己肯定感はどんどん増していきますよ。


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僕も以前はとにかく名声や勲章に強い憧れがありました。

いや、正直今でもそれは多少なりあります。走ることにはガソリンも必要ですからね。


でも今と昔で全然違うのはやはり車体の状態。

自分自身をしっかり整えることを意識してるから、昔に比べたら全然へこたれない。


だから名声に振り回されてしまう前に、まずはなぜ自分がそうしたものを欲しがるのか?と自分自身という車体をよく見つめてやることが大事です。

そうして自分を深く見つめるだけでも、自己肯定感は確実に増します。なぜか?

だって自分のことを見てあげてるから。

嫌いな人など見たくないのと同じで、"見つめる"って好きじゃないとできないんですよね。


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だからただ自分が何を感じてるのか向き合うだけで自己肯定感は増していきますよ。

時間がかかるってだけで、自己肯定感を増す方法自体は実はけっこう単純なんです。


僕が意識してるのが部屋の掃除をしたり、食事を整えたり、自分の身体をマッサージすることですね。

もちろん学問として心理学を学ぶこともすごく良いのですが、意外とこうした単純作業が効くんです。

そのどれも(掃除、食事管理、マッサージ)が自分に関心が無いとできないことですからね。


(例えば自己肯定感が増してる途中だった頃の僕の部屋の写真をこちらで公開してます。自己肯定感が低い時はもっと荒れてました⬇️)


関心を持つだけで自分の心って喜べるんですよ。

小さいけど、確実に。


名声を求める生き方はどちらかというと、自分に鞭を打ち酷使することが多いですから

ですから方向としてはむしろ自己肯定感を失いやすくなってしまうんですよ。


ですから基本的な自分自身をしっかり見つめて、自己肯定感を増しながら名声を求めるのならまだ良いかもしれません。

でも不思議と自己肯定感が本当に増してくると、あまり名声を求めなくなってきちゃうんですけどね。

そりゃ必要ないですもんね、良いガソリン入れなくてもちゃんと地に足つけて走れるようになってきてるんだから。


ですから、もし自分が過剰に名声を求めてたなら

よく自分自身を見つめ直してみてください。

きっとそこから自己肯定感は増していくはずです。


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PS

漫画の方が順調なので今週中には新作公開できそうです。どうぞよろしくお願いします!

ではでは今回も読んでくださりありがとうございます🙌

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