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苦手だった体育の授業を有意義にしたい

体育の授業。

それは、運動音痴の私にとって苦痛の時間だった。

跳び箱や鉄棒はまだ良い。
自分が失敗しても他人に迷惑をかけることが無いからだ。

だが体育といえば、ほぼチームプレーである。

パス練習では、球を取りこぼしては拾いに行くことの繰り返し。
試合形式のゲームでは、私のところへ球が来る度にミス、失点。

最初はドンマイドンマイ!と言ってくれていたチームメイトも次第に無口になっていく。
皆に迷惑をかけてしまう自分が情けなくて、申し訳なくて、消えてしまいたくなった。

こういうわけで、体育の授業がある日は朝から憂鬱だった。


そんな私も、小学校に入る前はサッカーをするのが好きだった。
皆が団子になってボールを奪い合っているところから一歩引いた場所に位置取り、ボールが飛び出た瞬間にドカン!とゴールめがけて蹴るのが得意技。
「しょうらいはサッカーせんしゅになりたい」と目を輝かせていた。

ところが小学校に上がって体育の授業が始まると、自分が運動音痴ということに気が付いた。成長に伴い身体能力の差が出てきたのかもしれない。
そこからは冒頭の通り、陰鬱な日々の幕開けだ。

それでもサッカーは好きだったけれど、私のプレースタイルは体育の授業では「積極性が無い」と評価された。
いつしか運動自体を避けるようになり、休み時間はずっと絵を描くようになった。


そして大人になってから、運動不足に困ることになった。
簡単に出来るストレッチや筋トレをYouTubeで探して実践しているが、これこそ体育の授業で教えて欲しかったと常々思う。

小学校の授業時間は45分。
おぼろげな記憶だが、準備運動に5分、メインのカリキュラムに35分、片付けに5分くらいの時間配分だった気がする。

ここからは提案だが、メインのカリキュラムを10分ほど短縮して、その分を筋肉の勉強に充てるのはどうだろうか。
「今日は腹斜筋を鍛えましょう」「今日は股関節周りの筋肉を伸ばすストレッチをしよう」といった風に、毎回異なる筋肉を意識したトレーニングを行うのだ。

運動が苦手な子も部活動をやる子も、全員の役に立つ内容ではないか。
そして大人になってからも必要な、一生涯の知識であり習慣だ。義務教育としてこの上なく相応しいだろう。

運動が苦手な子が肩身の狭い思いをするだけの授業より、“体を育む”有意義な授業にして欲しいものだ。

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