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「翻訳」という言葉との対話:『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』

2022年7月、
夫の故郷フランスに滞在してきました。

日本帰国時のお土産は、子供たちの洋服と本がほとんど。自分には、本を一冊と、ロダン美術館で買った付箋だけしのばせて帰ってきました。

選んだ本は、”La Femme au Carnet Rouge”(邦題『赤いモレスキンの女』)。以前、日本語訳版を読んで、読書記録を記事にしています。

詳しい内容はここでは割愛しますが、奇跡か、あるいは運命を思わせる偶然が重なるストーリー展開。そして、丁寧に紡がれる言葉の優しさ、暗記したいくらい素敵なフレーズの数々。心がときめくような、読書時間を過ごしました。

そして、ふと思うことが。

「私が読んだのは、原文から日本語訳されたもの。私は、この本の訳者の感性とか、言葉から溢れる雰囲気が好きなのかもしれない。」

翻訳業というプロフェッショナルな世界。もしかして、こんな風(↑)に感じたことを宣言するのは、翻訳家にとっては賛辞にはならないのかもしれない。

そんな私の思いに多少なり応えてくれたのが、先日偶然読んだ本でした。

◆◆◆◆

翻訳は日本語の作品なんですよ。そういうものとして向かい合って読んだときに心打たれるものがあるなら、それで勝負がついたというか、それでいいだろうって気がするなぁ。

『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』

『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』(斎藤兆史、野崎歓著)

本書は、英語とフランス語の東大教師がそれぞれの言語の観点から、外国語の学び方や、語学とはなんぞやということを、対談形式で語られている本です。内容は非常にアカデミックで、私などが感想を述べて良いのかとも思うのですが。

一方で、語学が多少なり好きな方であれば、何となく、「思い当たる節」が多い本かもしれません。ちなみに私は、外国語の能力が低いのは日本語能力が低いからと一刀両断されている箇所で、冷や汗が出ました(汗)。

そして、本書では「翻訳家の仕事」について深く切り込んでいきます。私は翻訳家でも、それを目指しているわけではありませんが、外国の言葉の捉え方を考える上で一番興味深い章でした。

翻訳のあり方を通して、その時代における社会とか文化の方向性がすごくよく見通せると思うんです。訳語のある種不自然さを担った言葉というものにむしろ刺激を感じる時代というものもあるわけだし、逆にそういうものにまったくアレルギー的な反応しか示さない時代もある。

『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』

原文に忠実に翻訳するのか、自然な日本語を取るかは永遠の課題であり、さらに、原作のよさと翻訳のよさは切り離せないともありました。

なるほど、翻訳された本を読んだ時に感じた日本語への違和感と、それを感じながらも感動した経験。それらが腑に落ちたような気がしました。

人間のやることは常に複数化せざるをえないし、それが人間の条件だと思うんですよね。その人間の条件を踏まえた営みこそが翻訳なんだろうという気がします。

『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』

数式のように正解のない、人が表現する言葉の世界。同じ言語同士ですら、時に意思疎通は困難で、一つの正解に辿り着けないことがあります。それを「人間の条件」とし、翻訳はそれを踏まえた営みだという。

翻訳一つを考えた時、社会背景とか言葉への思い込みとか、そして、そのもっと先にある、言葉との対話という究極の世界がありました。

◆◆◆◆

さて、私の手元にある『赤いモレスキンの女』の原書。

この本をフランスで購入した理由は、この作品への淡い憧れとでもいうのでしょうか。あるいは、もう少しこの作品と関わっていたいという願望なのでしょうか。

私が心打たれた言葉の数々は、原作の素晴らしさ、それを伝えようとした訳者の思いや感性が作り上げたもの。私の想像でしかありませんが、そのように感じる次第です。

これからもう少し、この小説の世界に浸る時間が作れることに、喜びを感じつつ。


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