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自分の行動原理について

先日、とある人に会いに石巻へいった。写真はそこで行った居酒屋の写真笑

自分のことを内省する機会にもなりすごい刺激的で、その時言われたこと、思ったことをまとめようと思う。

会社人ではなく社会人に

日本には1.5万くらいの職種があり、150くらいの業界があるらしい。
就活生はこの業種と自分の特性を見極めた上で、会社を選ぶ。

会社に入ると仕事に追われるようになり、会社に最適化された人間が作られていく。

だけど、ここに問題がある。
本来人間の在り方っていうのは人間の数だけあるはずであり、職種や業界で限られるべきものなのか?
もっと人間の存在の枠っていうのはあやふやで、ぼんやりしたものでできてるのではないか?
職種や業界、会社の名前で画一的にされるべきものではないのではないか?

「日本には、社会人ではなくて、会社人が沢山いる」という言葉が印象的だった。

「自分」として生きていくために

私は承認欲求が非常に強く、人に褒められたり、認められたりするのが好きだ。
ここを自分の過去と照らし合わせて深ぼっていくと共通した行動原理が分かる。

それは「自分」として生きること。

自分らしく生きることではない。自分として生きること。

大学名や所属、出身や生い立ち、勤め先などのラベルと同じように、そこに「自分」というラベルを貼り付けられるような人間でいること。

これが私の行動原理。

これが分かると過去の行い全てに意味があるように感じはじめた。

パンクロック聴いてみたり、予備校に頼らず大学目指してみたり(結果浪人笑)、、、

なぜその会社を選んだのか?

実は大学3年だけどもうとある会社に入ることに決め、働いている。といってもまだ雑務だけど。

まだ無名の会社だし、周りから見たら完全に道を踏み外したようにしか見えないだろうね笑

だけどその会社にいることが自分の行動原理に合うし、自己実現に近づけると思った。

「自分」として働けること。スケールできなくとも、色々と学べること。縁を大切にできること。

進路を決めても不安は残る

そうはいっても、就活を全くせずに進路を決めると不安が残る。本当にこれでいいのか?失敗したらどうしよう?

でもこの不安っていうのは大切なもので忘れるべきではないのではないかな。

進路を決めて満足したら、そこで自分の在り方が固まってしまう。それは最も自分が嫌なことではないか。
常に不安でいるのは本当に辛いけど、それはそういうものなのかも知れない。

常に自分としていれる環境にいるか?を自分に問い続けて生きていきたいと思う。
それでは。

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