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World Travel Log 2023.11-1

10/30 (月)

メキシコシティについた。もわっとした空気が体を包む。気分はまるで東南アジア。待ち侘びていたメキシコ。中南米は人生で初上陸だ。
今日はその後すぐにオアハカに移動する日。全然周りの人は英語が喋れない。実はこの旅では英語が話せる国ばかりを旅してきたので、あまり困ってこなかった。タイなどではあまり英語が通じなかったが、それでもなんとかみんなが英語を通じて異国の人とコミュニケーションを取ろうとしているのが見えた。でもここでは違う。まるでみんな「スペイン語がメインだけど何か?」みたいな態度で話しかけてくる。面白い、異世界だ。

宿の予約が取れていないトラブルはあったが、なんとか就寝。ハロウィンパーティーやら移動やらで眠れていなかったので久しぶりの居心地の良い個室が沁みる。


10/31 (火)

今日はホストの家に移動をする日。昼から動画配信の仕事をこなし、バックパックを抱えてタクシーに乗る。ついたのは随分と大きなお家。ウクライナ人のホストAndrewが迎え入れてくれた。彼はアーティストとして活動をしているそう。家中に自分の描いた絵が飾られていた。ペルーのジャングルに8ヶ月滞在するほど旅や冒険好きだったそうだけど、子どもができてからはサッパリなんだとか。子どもができるって、一大事だ。

メキシコは明日から死者の祭り。日本でいうお盆のような、死者を迎える日らしいのだが、ここではお祭りとして扱われる。

ダウンタウンに繰り出し、死者の日の前夜祭の様子を見に行く。目の前いっぱいに広がるマリーゴールドのオレンジや紫、黄色の装飾たち。もちろん外国人の私でもこの配色は可愛いなと思う。でも何より、これが伝統的・国民的な定番配色というのに驚きだ。日本とは違う文化だなあ。

夜は墓地に向かう。お墓にみんなで集まり、掃除をして飾り付けをするのが伝統なんだとか。日が沈み始める夕方、蝋燭の明かりが墓地に少しずつ灯り始める。静かな雰囲気かと思いきや全く違い、あちこちで陽気なラテン音楽の生演奏が奏でられている。故人に向けたものらしい。

ポツリとあるお墓の前に座るおじいさんが目に留まった。優しく微笑んだ顔で何かを思い出しているようだった。胸がキュッとなった。

一際派手に可愛らしく飾り付けられている墓があった。近づいてみると、幼い子どもの写真が飾られていた。墓を囲う大人たちが、一生懸命たくさんのろうそくに火を灯していた。

「メキシコのお盆はお祭りだ」と聞いていた。なんとなく、楽しくて悲しみなんてちっともないイベントなのかと思っていた。でも実際には楽しさとも悲しみともまた少し違う、何かがそこにあった。

誰かを偲ぶ姿って、とても美しいのだ。忙しなく動く現世の中で、ふと立ち止まって過去や違う世界の誰かに思いを馳せる。その時は誰もが優しい顔をしているのだ、と知った。


11/01 (水)

子どもの泣き声で目が覚める。娘のElenaと息子のNicoが喧嘩したらしい。10秒後には笑い声が聞こえた。朝から何だか忙しそうだ。

今日はお祭りの本番。ダウンタウンでパレードが見られるようなので出かけてみる。街全体がソワソワしていて活気に満ちている。コロナ以来忘れていたが、生き物である人が集まる街もまた、生き物なのだったな。

パレードはほどほどに派手でほどほどに騒がしく、でも程度を超えることはなくちょうど良かった。派手で壮大な演出がいつもいいとは限らない。無理をしすぎない範囲に全てがあるような気がして、オアハカという街は心地がいい。


11/02 (木)

今日は大人の祭りの日らしい。


11/03 (金)

今日は祭りも終わりひと段落。Andrewの家で伝統的なメキシコスタイルのサウナを経験させてもらうことに。パートナーのNinfaも帰ってきたようで、家
全体が陽気な雰囲気になっていた。

窯の近くの枯れ葉を掃除していて、ふとタイの仏教修行を思い出す。掃いては散っていく葉を掃除する行為。明日になればまた新しい葉が落ちてくるというのに、今この一瞬の満足感を求めて掃除をする。これぞまさに諸行無常だなあと、遠く離れたメキシコの地で思うのだった。

窯で石を焼き、大きなドーム型のサウナに焼いた石を入れ、葉っぱで香り付けしたお湯をかけてロウリュする。灰を払うのも全て葉っぱでやる。日本の昨今の「シティ・サウナブーム」との違いを思い知る。

東京にいた頃は「仕事がバリバリできる人」や「頭がいい人」がかっこいいと思っていた。今ももちろんそう思う。しかし、旅に出てからというもの「自分でなんでも作れる人」や「自分でなんでもできる人」のかっこよさもまた奥深いなと思うようになった。私も欲しいと思ったら自分で作れるような人になりたい。


11/04 (土)

今日はのんびり休みの日。動画を編集したり軽くダウンタウンを歩いたりして、早めに宿に帰ってきた。

パートナーとガザ地区に関する緊急講義の動画を観た。二人とも口に出していなかったが、ここ2週間ほどお互いこの件を頭の片隅に置いているのがわかった。(私はこういう問題を無視できない彼のことがとても好きだ。)

世界の行く末に絶対的な正解シナリオなどない。別に世界は平和になっても、中国が支配しても、アメリカが支配しても、核でボロボロになっても構わないのだ。(主語は「私」ではなく「世界」である。)

100年後の未来に、ウクライナとロシアのどちらが讃えられているかなんて誰も知らない。

だからこそ、どうなっても構わないからこそ、議論していきたいと思う。何が私の意見なのか、何を譲れないのか、何に無関心でいられないのか、表現していきたいなと思う。そうしていくことで私たちの行く末は決まっていくのだから。


11/05 (日)

今日は日曜市場へ向かう。乗合タクシーを駆使し、市場をめぐる。そういえば車の前列に3人が乗るタイプの車は久しぶりだ。果たしてこれは違法なのだろうかといつも気になる。

夜は溜めていた日記を書きまくった。やはり言葉には鮮度がある。なるべくその日に思ったことを書かないと昔のことは忘れてしまうのだな。



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